KDDI会長・JR東社長が語り合う被災地への思い

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2012/3/11付
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東日本大震災から1年。未曽有の大災害は多くの人々に衝撃を与え、今なお復興への試行錯誤が続く。KDDIの小野寺正会長、東日本旅客鉄道の清野智社長はともに仙台市の出身で東北大学の同級生。重要インフラを担う企業のトップとして震災とどう向き合い、被災地の再生の道筋をどう考えるのか。ふたりにふるさとへの思いを語ってもらった。

「陸上・海底2本のケーブルに被害。復旧の早さが問われた」 小野寺氏
「真っ先に頭に浮かんだ新幹線。安全停止は100秒後だった」 清野氏

――震災の起きた1年前の3月11日、どこで何をされていましたか。

小野寺正KDDI会長(右)と清野智JR東日本社長(東京・大手町)

小野寺正KDDI会長(右)と清野智JR東日本社長(東京・大手町)

小野寺 会社にいました。ビルの34階でものすごく揺れました。津波が来る前も通信ケーブルが切れるといった被害は出ていましたが、仙台市内の映像を見る限り、大きな被害が出ているようには思えなかった。ところが、その後、津波の映像が流れ、これは尋常じゃないと感じました。

清野 私は新宿にある本社の27階で打ち合わせ中でした。真っ先に頭に浮かんだのは新幹線のことです。当時、東北新幹線は27本走っていましたが、すべて安全にとめることができました。高架橋の耐震補強を行っていたことと、早期に地震を検知するシステムを導入していたことが功を奏しました。仙台付近を時速270キロメートルで走行していた新幹線は、非常ブレーキをかけはじめてから70秒後に最も大きな揺れがあり、100秒後に停止しました。乗務員は怖かったと言っていました。営業中の列車が脱線していないと分かったのが夕方ごろでした。

新幹線と違って沿岸部を走る線区もある在来線は心配でした。しかし、状況を把握しようにも、通信手段が切断されて情報収集が思うように進まない。結局、在来線は5本の列車が津波に流され、翌日の明け方まで乗務員やお客様の安否が分からない列車もありました。

神様が助けてくれたと思えることもあります。仙台駅ではホームの天井が崩れ落ちる被害があったのですが、ちょうど新幹線が出発した直後で、ホームにはほとんどお客さまがいなかった。初代の会長だった山下勇が、「君たちね、とにかく一生懸命安全対策をやりなさい。サボればどこかで神様がみている。神様が怒り出さないように対策しなさい」とよく言っていました。鉄道の安全は100%を目指しますが、100%はありえません。まあいいやと手を抜いた瞬間にとんでもないことになります。

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