2019年8月25日(日)

日米外交60年の瞬間 第3部

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故国に帰ったマッカーサー サンフランシスコへ(5)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/9/17 12:00
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ダレスが東京で吉田と会談した1951年4月18日、米国からのふたつのニュースが東京に届いた。ひとつは太平洋三国協定が近く発表されるとするワシントンからの17日発ロイター電であり、もうひとつはマッカーサーがサンフランシスコに到着したとの同日発AP至急報である。

■日本再軍備への備えだった太平洋協定

太平洋協定は米、豪州、ニュージーランドによる安全保障上の協定である。欧州における北大西洋条約機構(NATO)の太平洋版のような多数国間の安全保障機構が考えられたが、結果は米、豪、ニュージーランドのアングロサクソン系の3国協定になり、対日講和条約の調印とともに効力を発することになった。

冷戦を戦うためにトルーマン政権は、様々な安全保障機構を模索した。太平洋協定は3国のアルファベットをとってANZUSと現在は呼ばれる。太平洋協定は、日本の再軍備に制限を設けない対日講和条約に豪州、ニュージーランドが同意する条件として米国が両国の安全保障に責任を持つとする政治的意味を含んでいた。

ソ連から両国を守るだけでなく、日本から守るニュアンスがあったことがこの経緯からわかる。太平洋協定の合意近しのニュースは、対日講和近しの意味もあった。

一方のマッカーサーである。

ナポレオンのエルバ島脱出を連想させるが、マッカーサー一行を乗せた専用機「バターン号」が、ホノルルからサンフランシスコ国際空港に到着したのは、4月17日午後8時29分(日本時間18日午後1時29分)である。東京ではダレスが吉田との第1回会談を終えて昼食を終えたかという時間である。

■サンフランシスコ空港で数万が歓呼

東京をたつ時もそうだったが、第2次大戦の英雄が米本土に凱旋するのだから、尋常ではない騒ぎだったようだ。

「インターナショナル空港建物前に静止したバターン号の扉が開き、マ元帥が現れるや詰めかけた数万の群衆から期せずして大歓呼が起った」とUP至急報(訳・共同通信)は伝えた。

マッカーサーはこう語った。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

「本国帰還がどんなに素晴らしいことか私はいま言葉で言い表せない。長い年月、妻も私も本国帰還を語り合い、考えてきた。みなさんのこの大変な歓迎は私どもにとって決して忘れられないものになるでしょう」

マッカーサーは、出迎えのウォーレン・カリフォルニア州知事、ロビンソン・サンフランシスコ市長、ウェデマイヤー第6軍司令官らと握手し、儀仗(ぎじょう)兵を閲兵した。

UP電によれば、この後、夫人、令息とともに空港を出発、市内に向かったが、宿舎のセント・フランシス・ホテルまでの16マイル(約25キロメートル)の沿道は、夜だというのに人で埋まっていた。数十の空港サーチライトも歓迎気分をかき立てた。

マッカーサーの動きにワシントンは神経をとがらせた。とりわけ19日の上下両院合同会議で何を語るのかに焦点が集まっていた。

上院共和党政策委員会は、トルーマン政権を批判し、マッカーサーを応援する立場から極東政策の調整にあたる両院合同委員会の設置を提案した。

アチソン国務長官は記者会見で「19日の両院合同会議に出席する計画はない。マッカーサー元帥が演説の内容について事前に国務省の承認を求めるかどうかわからない」と語った。突き放した響きである。

マッカーサー側近のホイットニー前GHQ民政局長は、サンフランシスコに同行していたから当然、記者団にコメントを求められた。

「演説は主として極東問題の検討にあてられるだろう」と述べるとともに、「政治的な基礎に立って解職問題を闘うかどうかについて元帥は何も意図していない。ただ自然の成り行きに任せる考えだ」と語った。

政争にする意図はないが、自然の成り行きに任せる。トルーマン政権には気になる発言だった。

翌18日、マッカーサー自身がサンフランシスコ市中央の広場で25000人を前に「私はなんら政治的野心を持たず、政治的職に立候補する意思もない。したがって私の名前が政治家に使用されないように望む」と述べた。

さらに「私の政治観は『米国に祝福あれ』という簡単な言葉に尽きる。私が外国にあってどれほど帰国を望んでいたかは言葉で言い表すことができない」と続いた。歴史に残る米議会での演説の心境に近づいていたのだろう。

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