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iPadと動画が変えた戦術 女子バレー飛躍の舞台裏

スポーツを支えるIT(2)

2010年11月、バレーボールの女子世界選手権で日本チームは、32年ぶりの3位となり銅メダルを獲得した。話題になったのは、代表監督の真鍋政義氏が米アップルのタブレット端末「iPad」を手に持って選手に声をかけ続けていた姿だった。緊迫した試合中でも、監督は試合中に刻々と変わる様々なデータを閲覧しながら、スパイクの調子がよい日本チームの選手に球を集めたり、レシーブが苦手な相手の選手を攻めたりするなど、具体的な指示を送っていた。

分析ソフトが動くパソコンとiPadが画面共有

バレーボールの試合時間は2時間前後とされるが、実質的なプレーの延べ時間はその半分以下。タイムアウトでチームの雰囲気を立て直したり、プレーごとのインターバルやセット間に選手に細かく指示を出したりでき、監督やコーチが試合中の選手の動きに関与しやすいという。

しかも「バレーボールでは監督がコンピューターをベンチに持ち込むことが許されている」(日本バレーボール協会の渡辺啓太アナリスト)。このメリットを最大限に生かして、真鍋監督が手元にある必要なデータを見て即座に作戦を指示できる環境をiPadで整えた。

それまではデータをまとめた紙をプリントアウトしていたが、出力に時間がかかるうえ、ベンチサイドでの使い勝手もよくなかった。iPadはノートパソコンより軽く、視認性が高い。指先の操作で文字や画像を拡大できるなど試合中に慌ただしいベンチでも使いやすい。

iPad上で動いていたのは加賀ソルネット(東京都千代田区)が開発した「Volley Pad」と呼ぶソフト。端末内のデータを表示したり、画面を切り替えて「画面共有機能」でMacパソコンの画面を表示したりできる。コートサイドのMacでは、バレーボール分析のための専用ソフト「Data Volley(データバレー)」が起動しており、渡辺アナリストが操作している。本来はWindow用のソフトだがこれをMacで動作させることでiPadとの画面共有が可能になった。

「a4SQ17.8#……」――。渡辺アナリストはプレー内容を見ながら、データバレーの専用コードを使って、試合中にデータを入力していく。ベンチ内のコーチから無線のヘッドホンで指示を受けると、該当する統計データを選び出してMacの画面に表示する。この画面は監督のiPadからも閲覧できる。

 例えば「その日のアタック決定率」。決定率が低い選手の数値が赤字で表示され、調子の良しあしが一目瞭然で分かる。監督はiPadに表示される統計データを読み、ときには画面を選手に見せながら指示を出す。「監督にストレスをかけずシンプルに、しかも紙よりも見やすいかたちで表示できる」(渡辺アナリスト)。監督自身が試合中に端末を操作する必要はない。

抽出した分析結果をうまく選手に伝える目的でもiPadは有効だった。「試合中の選手は非日常の状況下にあり、緊張もするし興奮もする。高いパフォーマンスを出させるには、必要な情報を的確に示すことが重要になる」と渡辺アナリスト。iPadで情報を視覚的に、タイミングを逃さず伝えることができたという。

無意識のプレーに"傾向"が浮かび上がる

バレーボールで試合中に発生するデータを入力し統計解析する取り組みは、1980年代に欧州で始まった。「データバレー」はイタリアのデータプロジェクトという会社が開発したもので、イタリア男子が90年代に世界選手権3連覇という実績を残したことで脚光を浴びた。2008年の北京オリンピックに参加した男女22チームのうち、20チームが採用していたほどの「世界標準ソフト」だ。

日本でも数社が分析ソフトの開発を試みたが、開発費が高い半面、利用するチーム数がさほど多くないという事情によりあまり浸透しないまま消えていった。海外で実績があり、50万円程度と割安に導入できたデータバレーが日本でも広がった。

データバレーで試合中に入力された情報は、様々な視点から絞り込みができる。例えば「あるチームでは、スパイクはどの方向からどの方向へ打つことが多いのか」といった傾向を浮かび上がらせることも可能だ。過去の実績データを基に視覚的に表示される。そのチームのエースアタッカーのスパイクの方向や、得点が拮抗した状況で打つスパイクの方向といった表示もできる。

「試合中は選手は必死で、無意識にプレーしている。そういう時こそスパイクのコースに"傾向"がでる。これを見抜くことで次の対策を立てられる」(渡辺アナリスト)。まさにバレーボールは情報戦なのだ。

 ほとんどの国がデータバレーで情報武装しているなか、なぜ昨年の日本女子チームは結果を出せたのか。それは「日本の情報は量・質ともに世界1だった」(渡辺アナリスト)からだ。

データバレーは「初歩レベルの入力なら2~3時間で覚えられる」(データバレーの日本総代理店バレーボール・アンリミテッド=横浜市=の河部誠一社長)。実はその奥は深く、より詳細なデータを記録することができる。例えばサーブ、レシーブのときに、最低限の情報は「誰がどの位置でレシーブした」で済むが、レシーブしたのが「体の正面」か「右側」か「左側」かといった情報が実戦では大事になる。そのレシーブがどこに飛んだかというデータと組み合わせれば、どの位置でレシーブするのが得意か苦手かといったところまで解明できる。「詳細なデータを記録してあれば、それを基に細かな指示も可能になる」(渡辺アナリスト)。こうしたデータの積み重ねが実を結んだ。

映像情報との連携で説得力を高める

バレーボールの情報化は試合前のミーティングにも浸透している。口頭で指示するだけでなく、映像で選手の視覚に訴えかけるのだ。「コートにいるのと同じように、イメージを具現化できるかがカギ。そのためには相手の動きを見られる動画が有効になる」(渡辺アナリスト)。「DataVideo(データビデオ)」と呼ぶシステムを使うことで、例えば明日の相手チームのエースアタッカーが打ったスパイクの映像を順番に表示するといったことが簡単にできる。

バレーボールではほぼすべての試合でコート全体をカバーする映像が記録されている。この映像を蓄積すれば、データバレーと連携して特定のシーンだけを絞り込んで呼び出せる。同じ選手の映像を続けて見れば、クセやスパイクの打点の高さといった特徴を見抜くことも可能だ。「現場では分析データよりも圧倒的に映像の方が力を発揮する」(渡辺アナリスト)。

ソフトバンクの選手はiPhoneでフォームチェック

試合中に入力されたデータや映像の活用はプロ野球でも広がっている。福岡ソフトバンクホークスでは、2009年から1軍と2軍の選手全員にアップルのスマートフォン「iPhone」を配布している。専用のアプリケーションを開発し、選手自身が試合でプレーの動画を検索・閲覧できる環境を構築した。

例えば自分のホームランシーンを順番に表示してフォームをチェックしたり、今日対戦する相手チームの先発投手の決め球を見て、打席でのスイングをイメージするといった使い方ができる。投手なら自身の投球フォームを振り返るといった目的で使える。小久保裕紀選手が積極的に利用していることを公言するなど、選手からの評価も上々だ。2011年になってから「iPad2」も選手全員に渡し、一人ひとりの情報武装を進めている。

このシステムは、データスタジアム(東京・世田谷区)が「ベースボールアナライザー」で入力した情報がベースになっている。試合中にリアルタイムで記録されたタイムスタンプを基に、映像情報を呼び出す仕組みだ。

日本の優れているところはどこか

スポーツでは競技ごとに詳細なデータが入力され、蓄積したデータベースを基に効果的な作戦を導き出すことが当たり前になっている。情報化と統計分析が進んだ競技では、選手の技量だけでなく「情報の質」が勝敗を分けることまで実証されている。新しい技術の導入や情報の活用が各競技における勢力図に影響を与える可能性がある。

スポーツに統計分析を取り入れる動きは、日本よりも海外が先行している。体格や体力で外国人に劣ることが多い日本の選手が世界に伍(ご)して戦うには「相手より優れているところを冷静に分析して、そこで勝負することが不可欠。(女子ワールドカップサッカーで優勝した)なでしこジャパンがまさにそうだった」(東海大学理学部情報数理学科の鳥越規央准教授)。

渡辺アナリストは「日本の女子バレーはサーブ、レシーブ、ミスの少なさなどで世界一になることを目指している。情報活用でも世界のトップになればさらに強みを発揮できる」という。優位性を見つけ、理論に裏付けられた戦術を実行すれば、身体能力の差をひっくり返すことも不可能ではない。

ただ、こうした情報戦が進むと、人間の目で逐一プレー内容を投入する情報だけでは追いつかなくなる。一部の競技では、データ入力を機械に任せる技術の導入が始まっている。

サッカーで導入前夜 選手の動きを自動入力

野球やバレーボールと異なり、フィールドが広く選手の動きの自由度が高いサッカーでは、試合中に起こったプレーを入力する作業には大変な手間がかかっている。Jリーグから公式にデータ入力業務を委託されているデータスタジアムでは、「1試合当たり20時間がかかる」(サッカー事業部の小棚木伸一マネージャー)という。

90分の試合で中断はほとんどなく、ポジション(位置)に選手が止まっているわけではない。現地から送られる映像だけでは選手の識別が難しく、ボールにかかわった位置のプロットも難しいからだ。「1試合につき2000件のデータが記録される」(小棚木マネージャー)という。

ところがここに、「トラッキングシステム」という革新的な技術が採り入れられようとしている。4台のカメラを内蔵した装置2機をスタジアムに設置することでピッチ内の全選手(22人)と審判(3人)、ボール(1個)の全26要素を試合の開始から終了まで機械的に追尾し、データ化するものだ。ここで集めたデータを使えば、ゴールが決まる数秒前に全チームの選手がどう動いたかをアニメーションで再現したり、ある選手が動いた範囲を視覚的に表現したりといったことができる。選手が試合開始から終了までに走った距離を求め、チーム全体の運動量を前半後半で比較するといった戦略分析も可能。感覚で捉えるしかなかったプレー内容を具体的に数値化してくれる。

データスタジアムが導入しようとしているのはスウェーデンのTRACAB(トラキャブ)という会社が開発した技術で、2010年の南アフリカワールドカップ大会でも採用されていた。日本では「2012年度のJ1(Jリーグディヴィジョン1)に本格導入することを目指して、11年は全節でオペレーションテストをしている」(データスタジアムの大野淳取締役)

トラキャブが導入されたとしても、パスやドリブル、シュートといったボールの扱いや、スルーパスなどプレーの意味の解釈は従来のまま人間が入力する必要がある。それでもトラッキングによるデータが加わることで分析の幅は大きく広がる。選手の持久力や走力、カバーできるエリアの広さなどを含めて選手を評価できる。すでに欧州にはトラキャブが計測した数値をソフトで解析して、選手の育成データとして活用しているチームがあるという。

野球でも、米国のメジャーリーグでは「ボールの軌跡をカメラで捉えて、自動入力する仕組みが採り入れられている」(データスタジアムの松元繁取締役)。人間が手間をかけ、ノウハウを蓄積しながら培ってきた入力作業を、機械はいとも簡単にやってのける。そして、集めた情報の活用がチームと選手の底力を高めることにつながっていく。

(電子報道部 松本 敏明)

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