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「人生、後悔したくない」 震災半年、変わる若者(1)

高度成長やバブルの熱気を知らぬまま、1990年代以降の「失われた20年」に社会人になった若者世代。競争を好まず、身の丈の幸せを求める生き方は「草食系」「低温世代」などと称されてきた。そんな彼らが東日本大震災という未曽有の惨事を経て、働き方や消費行動を見つめ直そうとしている。東日本大震災から半年。復興の主軸としてニッポン再生を担う若者世代のいまを追った。

3月11日14時46分。岩淵志学(29)はこの時刻を今もはっきり覚えている。自分の生き方を変えようと、心に決めた瞬間だからだ。

「せっかく大企業にいるのに…」

岩淵は当時、楽天の技術研究所で働いていた。仕事はインターネット関連の技術開発。結婚もして何不自由ない生活だったが、どこか満たされない日々だった。このままサラリーマンで人生を終えていいのか。30歳の節目を前に、独立して世の中に役立つ仕事をしたい。興味を抱いていた太陽光発電事業の起業話を妻に打ち明けたこともあった。だが返事はつれなかった。「せっかく大企業に勤めているのに、熱を冷ましたら」

そして震災の日を迎えた。テレビに次々と映し出される被災地の悲惨な現場。「世の中、いつ何が起こるか分からない。いま死んだら絶対後悔する」と直感した。一気に気持ちが固まった。「震災の混乱が収まったら、すぐに会社登記しよう」。震災から2週間後の3月24日。法務局に駆け込み、「岩淵技術商事」の設立を申請した。元手はマンションの頭金として蓄えた400万円。「震災がなかったら、決断できなかった」

岩淵はいま、太陽光パネルを使った携帯電話の充電装置の開発に取り組んでいる。この装置は「電気が減りにくいため、3年間放っておいても携帯の充電ができる」。完成後は真っ先に公共機関に設置したい。「被災地では電気の確保が難しく、携帯電話の充電に苦労している」と伝え聞いたからだ。基幹技術である過放電を制御するソフトも無償公開するつもりだ。

長引く景気低迷と年金などの将来不安。就職難が常態化するなか、仕事と給料の安定が何よりのぜいたくに映る時代だ。ただ誰でも「こんな仕事をやりたい」といった熱い思いを胸に秘めている。一瞬で命を奪う震災を目の当たりにして、若者世代のそんな思いが覚醒しつつある。

 草食男子 恋愛やセックスに縁がないわけではないのに積極的ではない。自動車の購入など顕示的消費にも興味を示さない。そんな若者男性が、草食男子、草食系男子と名づけられて注目された。中心世代は30歳前後。バブル崩壊後の経済停滞が、男性の精神構造に影響を与えているとの指摘もある。
 低温世代 就職氷河期の洗礼を受け、やっとのことで会社に入っても賃金は上がらず、好況といった浮かれた状況は知らないまま社会人として生活している世代。いくら働いても給料は上がらないので転職して給料を増やしたいという気持ちもあるし、やりたいと思う仕事もあるのだが、やっとの思いで入れた会社だから、失敗したらと思うと思い切って挑戦することもできず、そのまま現在の会社に残っている。
※「現代用語の基礎知識」(自由国民社)より抜粋

「最初はパンクかな、と思った」。千葉県芝山町で農業を営む青木理紗(31)は農場から帰る軽トラックの中で激しい揺れに遭った。2010年2月に70アールの農地を借り、農業法人を立ち上げてから1年余り。ようやく軌道に乗り始めた矢先のことだった。

それから数日後、最悪の事態が青木を待っていた。東京電力福島第1原子力発電所事故。4月4日には隣町の多古町で、ほうれん草から放射能が検出された。「農家にとって土は命。風評被害がどこまで広がるか不安で、震災から2週間くらいは家に閉じこもった」

もう辞めてしまおうか。そんな時、ふと思い出したのが農業の世界に飛び込んだときの新鮮な気持ちだった。「初めて本当にやりたいと思えたこと。きっと3年も我慢すれば、風評被害は収まる。絶対やり遂げたい」

自分の手で挑戦できる仕事

青木は農業を始めるまで、順風満帆の社会人生活を歩んでいた。2003年に大手コンサルティング会社に入り、3年後に独立。「もう少し頑張れば、1億円稼げるかなという状況だった」。だが金銭面で申し分ない仕事も、心の片隅に物足りなさが残った。「コンサルタントは提案だけで、事業を手がけるのはお客さん。自分の手で挑戦できる仕事がやりたい」。頭に浮かんだのは、以前にコンサルティングを担当した農業法人。「農業は食べ物を作る仕事。人間が生きる源だと感じた」。2年間の下積みを経て、農業法人の設立に踏み切った。

農業を続ける決断はしたものの、現実は厳しい。震災以降、農業の収益は一気に落ち込んだ。けれども「負けたくない。どうせ暇なんだから外に出よう」と、全国の物産展に積極的に顔を出した。つらい気持ちを紛らそうと、アレルギーに苦しむ人のことを考えて取り組んだ農薬もたい肥も使わない独自の農法を必死にアピールした。

震災を経て「農業で頑張ろう」という思いは以前よりも強まった気がする。今はコンサルタントの経験を生かし、ただ野菜を売るのではなく、総菜などに加工して売るビジネスモデルを思考している。「ゴボウは1本100円。でもサラダにすれば1000円になる。インゲンもスープにすれば日持ちする」。青木は来年を目標に、東京都内に総菜店を出店する構想に着手した。3年後には米国にも進出したいと、夢は大きく広がっている。

太陽光、農業…。やりたい仕事に出会える若者はまだ幸運だ。だが多くは何をしたいか見つからず、忙しい毎日に追われる。そんな生活を断ち切り、一歩前に踏み出そうとする若者もいる。

中川生馬(32)は妻の結花子(29)と重さ30キログラムのリュックを背負い、全国を旅している。目的は自分らしく生きられる仕事を探すこと。2010年10月に出発し、これまでの移動距離は21都道府県、2万5000キロに達した。高速バスや鈍行列車を使って交通費を浮かせ、極力歩く。旅に1カ月出た後、整理のために地元の鎌倉に数日間戻る生活を繰り返してきた。

震災当時は鎌倉に戻っていた。テレビに映し出される悲惨な光景。次に訪れる予定の東北地方では地震と津波で多くの命が奪われ、被災者は仮設住宅に身を寄せる生活を強いられていた。「本当にこのまま旅を続けていいのだろうか」。居たたまれない気持ちになった。

一方で「今回の震災のように、人生は何が起こるか分からない。今のうちにいろんな世界を見ておきたい」という思いも一層強まった。悩んだ末、中川は「やっぱり旅に出よう」と妻に告げた。

中川は旅に出る前、ソニーの広報担当だった。南アフリカで開かれたサッカーのワールドカップの報道対応を担当するなど、それなりに充実した日々だったという。ただ「良い経験をたくさんさせてもらった半面、毎日が会社のため、という生活に疑問も感じた」。高校、大学時代は米国のオレゴン州で育った。「オレゴンでは夕方に帰宅し、家族との時間を大切にする。日本では帰宅が遅く、プライベートの時間を持てない」。仕事とプライベートの両立。そんな生き方に憧れた。

今も心は定まらない

旅の当初は、居心地の良い土地で得意の英語と広報の経験を生かせる仕事に就きたいと、漠然と考えていた。旅で知り合った人から紹介され、複数の自治体から就職の誘いも受けた。だが今も心は定まらない。

妻の結花子はプロポーズの前に、中川から旅に出たいという話を聞かされていた。「私の仕事はネイルケア。どこでだってできる。だから彼についていくことにした」と屈託ない。旅から戻ると、常連客を相手に仕事をこなす。「月に数万円だけど、旅の資金になる」。失業保険期間を終えた今では、2人の重要な収入源だ。

震災から半年を前に、中川は被災地の東北に向かった。旅はまだ終わらない。

震災から半年。ニッポン再生の挑戦は復旧から復興へと新たな段階に移っていく。海図なき将来ビジョンを描き、長期にわたる復興を進めるには、新しい道を切り開く強い決意と柔軟な発想が必要だ。震災を機に働く意味を問い始めた若者世代。彼らはその役割を担う力を秘めている。

=敬称略

※「震災半年、変わる若者」は合計4回に分けて「ビジネスリーダー」に連載します。取材・執筆は小栗太、西雄大、谷口誠、名古屋和希、杉原梓が担当しました。

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