2019年2月16日(土)

政客列伝 金丸信(1914~1996)

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世代交代論を唱える 「政界のドン」金丸信 (4)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2011/8/21 12:00
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■保利に大福一本化迫る

金丸は三木内閣で国土庁長官となった。三木首相と「生みの親」の椎名副総裁は折り合いが悪く、三木内閣は不安定だった。1976年(昭和51年)7月、ロッキード事件で田中角栄が逮捕されると、自民党内は「三木降ろし」が吹き荒れた。田中派が中心となり、福田派、大平派、中間派を結集して「挙党体制確立協議会」(挙党協)が結成され、党長老の保利茂と船田中が代表になった。挙党協の数の力を背景に福田副総理と大平蔵相が2人そろって三木首相に辞任を迫ったが、三木は拒否した。

三木の後は福田がやるのか、大平なのか、その調整がついていなかった。三木はその足元を見透かしたように驚異的な粘り腰を発揮していた。この情勢を見て金丸は保利に後継総裁となるよう勧めたが、保利は「自分は器ではない」と固辞した。「それなら福田しかいないじゃないですか」と畳みかけると「あれはダメだ。福田には愛想が尽きた。オレは福田の将来に二度と手を貸さないと決めたんだ」と素っ気なかった。田中内閣の末期に福田が保利の説得を振り切って閣僚辞任して以来、福田と保利の関係はこじれていた。

福田赳夫(左)と金丸信

福田赳夫(左)と金丸信

それでも金丸は「福田しかいない」と保利を口説き続けた。最後は保利も「キミに任せる。白紙委任状を渡す」と折れた。そこで金丸は福田に対して「すぐ目黒の保利先生の家に行ってほしい。謝るべきところは謝って、手を握らないと、あなたの時代は来ませんよ」と勧めた。福田は「どうもありがとう」と応じたが、いっこうに福田が保利と会ったという話が伝わってこない。金丸が「福田先生、何をしているんですか」と促すと「実はね。敷居が高くてね」と福田はもじもじしていた。金丸は「人の言うことをまともに聞けないなら、私はもうあなたを相手にしない。行くのか、行かないのか」と声を荒らげた。しばらくして福田から金丸に電話があった。「ありがとう。行って良かったよ」。

保利が保証人、福田派の園田直、大平派の鈴木善幸が立会人となって「まず福田が2年、その後は大平」という大福一本化の密約ができて三木内閣は昭和51年12月の総選挙後に退陣、福田内閣ができた。保利は衆議院議長となり、金丸は補佐役の衆議院議院運営委員長になって、保利―金丸コンビで与野党伯仲国会の運営にあたった。1年後の福田改造内閣では防衛庁長官となり、3回目の入閣を果たした。

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