政客列伝 金丸信(1914~1996)

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 日経電子版(Web刊)では、首相になれなかった、もしくはならなかったものの個性的で存在感あふれた戦前戦後の大物政治家の軌跡を紹介する「政客列伝」を掲載しています。今回のシリーズでは竹下派の全盛時代に「政界のドン」と呼ばれ、時の首相を凌駕(りょうが)する権勢を誇った金丸信氏の生涯を振り返ります。

保利茂に師事、田中内閣実現に奔走 「政界のドン」金丸信(3)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2011/8/14 12:00
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■保利の推薦で国対委員長就任

金丸が所有していた赤坂のビルに一時、田中の後援会組織である越山会の事務所が入っていた。ビルを建てる際に資金が足りないので「オヤジ、助けてくれ」と頼み込み、9階建てのビルの7階フロアを越山会が借り切った。金丸は8、9階を使用していたから、越山会の佐藤昭とも頻繁にマージャンをするなど親密だった。ある日、田中が血相を変えて飛び込んできた。「金丸君、大変だ。このビルに田中彰治がいる」。よく調べてみると田中彰治の愛人が入居していた。「政界のマッチポンプ」といわれた田中彰治は新潟選出のこわもて代議士で、角栄は大の苦手だった。その2人が金丸のビルのエレベーターで運悪く鉢合わせしてしまったのだ。

▼初入閣までの主な歩み
1961年(昭和36年)
悦子夫人と再婚
1963年(昭和38年)
2回生議員のトップを切って郵政政務次官に
1966年(昭和41年)
運輸政務次官に
1967年(昭和42年)
衆議院建設委員会の筆頭理事
1972年(昭和47年)1月
保利幹事長の強い推薦で国会対策委員長に
同年7月
福田支持の佐藤首相、保利幹事長の意に反して田中支持の先頭に立って奮戦
同年12月
第2次田中内閣で建設大臣となり、念願の初入閣

この一件があって越山会は金丸のビルから出て行ったが、そうしたことも含めて田中と金丸は「切っても切れない」深い利害関係があった。金丸は昭和41年7月、運輸政務次官になった。翌42年11月、保利が建設相に就任して政界の最前線に復帰すると金丸は衆議院建設委員会の筆頭理事となり、保利との信頼関係を生かして建設行政に食い込むチャンスをつかんだ。

まれに見る長期政権になった佐藤首相は1971年(昭和46年)7月の内閣改造で金丸の盟友・竹下登を官房長官に抜てきし、自民党幹事長には保利を起用した。すでに佐藤後継をめぐって福田赳夫と田中角栄の激しい攻防が始まっていた。佐藤と保利は福田支持の意向だったが、田中は佐藤派内や参議院で着々と勢力を拡大していた。昭和47年1月、金丸は保利幹事長の強い推薦で国会対策委員長に就任した。田中は腹心の二階堂進を推し、佐藤首相は「金丸君で大丈夫か」と懸念したが、保利は金丸で押し切った。

保利が金丸を起用したのは「金丸君と竹下君のところの婚儀が済んだあと、竹下君が官房長官に抜てきされた。釣り合わぬは不縁というから、金丸君を国対委員長にしたんだ」という配慮があった。金丸は保利の厚誼(こうぎ)に感激し、保利の期待に応えようと野党との信頼関係作りに精魂を傾けた。当時の野党の国対委員長は社会党が楯兼次郎、公明党が大野潔、民社党が池田禎治だった。国対委委員長就任は金丸にとって「政治の表舞台に出る一番の土台」となった。

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