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バーチャルよりもリアル 震災半年、変わる若者(3)

東日本大震災を機に、瞬く間に全国に広がった共助の精神。その姿は、戦後の焼け野原から驚異の復興を遂げた日本の強固な団結力を世界中に思い起こさせた。人のつながりを大切にする気持ち。それは内向き志向で「草食系」「低温世代」と称された若者世代にも広がりつつある。

建築家の松原独歩(33)は東日本大震災直後、自宅とオフィスがあるJR渋谷駅周辺を半日近く歩き回った。「自分が住む街に何が起こったのか」。無性に自分の目で確かめたくなった。

ネオンが消えた最先端のファッションビルは大きなコンクリートの塊になり、まるで巨大なお墓のように見えた。ふだん元気に街中を闊歩(かっぽ)する若者たちは、帰宅できずに駅の広場でじっと座り込んでいた。「新しい文化や技術を生み出す東京の中心」と憧れた渋谷の街は、すっかり姿を変えていた。

地に足が着いたつながり

震災前は「にぎやかな街で毎日飲み歩く日々」が楽しかった。だが震災で気づかされた。「自分はなんて表層的な部分にこだわっていたのか」。華やかに見えた渋谷の街には、励まし合ったり助け合ったりできる一体感が存在しない。松原は自宅の荷物を処分。震災から2か月余り、親戚の家や全国の宿泊施設を転々とした。「地に足が着いたつながり」を探したかった。

シェアハウスで住人たちと歓談する松原独歩さん(中)

3月下旬、松原は卒業した京都大学のOBや大学院生らと震災後の街づくりを議論するプロジェクトをやろうと呼びかけた。震災後の理想的な生活を考えるなかで、台所や居間を共用する「シェアハウス」に魅力を感じるようになった。人口減が進む日本で、シェアハウスは高齢者を孤立させず、介護に伴う財政負担を軽減させる可能性も秘める。「まず自分が住んでみよう」

松原が引っ越したのは、高度成長期に建てられた団地を改修したシェアハウス「りえんと多摩平」(東京都日野市)。学生や社会人80人ほどが同じ建物で一緒に暮らす。1階に設置した台所で食事を作り、同居人と会話を楽しむ。これまで建築家として構想から建築まで1人で考えてきたが、ここでは同居人との会話から仕事のアイデアを得ることもある。

 草食男子 恋愛やセックスに縁がないわけではないのに積極的ではない。自動車の購入など顕示的消費にも興味を示さない。そんな若者男性が、草食男子、草食系男子と名づけられて注目された。中心世代は30歳前後。バブル崩壊後の経済停滞が、男性の精神構造に影響を与えているとの指摘もある。
 低温世代 就職氷河期の洗礼を受け、やっとのことで会社に入っても賃金は上がらず、好況といった浮かれた状況は知らないまま社会人として生活している世代。いくら働いても給料は上がらないので転職して給料を増やしたいという気持ちもあるし、やりたいと思う仕事もあるのだが、やっとの思いで入れた会社だから、失敗したらと思うと思い切って挑戦することもできず、そのまま現在の会社に残っている。
※「現代用語の基礎知識」(自由国民社)より抜粋
夕涼み会で近所の子供たちと交流する機会も

地域の人とのふれあいも増えた。8月末の夕暮れ時、松原はシェアハウスから徒歩10分ほどの団地の集会所で催された夕涼み会に顔を出した。「ずっと自分の領域に他人を入れること、人のために何かすることが苦手だったのに」。オフィスも新しい自宅から近い立川市に移転した。こちらも複数の会社が1つの空間を「シェア」する構造だ。

「街づくりのコーディネーターになろう」。震災を機に、建築家・松原の新たな将来ビジョンが見えてきた。関心は「建物のハコよりも、その中で人がどう交わるか」。今後もシェアハウスに住み、地域の人たちと時間や空間を共有する生活を続けてみるつもりだ。

震災が起こった時、青木健生(36)は都内で仕事の打ち合わせ中だった。千葉に住む家族が心配になったが、受話器から聞こえる「みんな一緒だから大丈夫」という妻の声に胸をなで下ろした。たまたま自宅に近所の友達が遊びに来ていて、不安が和らいだという。

震災で頼れるのは近所の人たち

青木は団地に家族3人で住んでいる。「震災で頼りになるのは近所の人たち。でも同じ団地にどんな人が住んでいるのか、ほとんど知らないことに気づいた」。震災を機に、まず団地の自治会活動に力を入れてみようと思い立った。

最初に始めたのは、被災地への救援物資集め。協力を申し出た高層階に住む高齢者は、布団を提供したいが、重くて運べないという。引き取り作業を通じ、同じ30代の夫婦と知り合った。「これまで自治会活動を担ってきたのは団塊世代。でも一番動けるのは、我々30代ではないか」。意見が一致した。同じ思いを持つ同年代の人たちもたくさん集まってきた。

近所にどんな人が住んでいるのかを知っていれば、安心して家を空けられる。公園にどんな人が出入りするかが分かれば、子供も遊ばせやすい。活動をきっかけに、団地内でお酒を酌み交わす機会もできた。

青木はいま、活動をほかの団地にも広げようと模索している。7月には父親の育児参加を支援する非営利組織(NPO)のファザーリング・ジャパンの千葉県支部を立ち上げ、副代表に就いた。「地域活動が活性化すれば、みんなが暮らしやすくなる。もっと自分の経験を広げていきたい」。会社員から社会人へ。青木に新たな生きがいが見つかった。

ネットの世界のバーチャルな結びつきに慣れ、他人との深い交わりが苦手とされる若者世代。だが震災を機に、人のつながりを大切にしようという機運が様々な場面で高まっている。

東海高校と金城学院高校の初の合同同窓会には100人を超す若者が集まった

「あやちゃん、久しぶりやん」「お前、少し太ったんやない」――。8月13日、名古屋市内のホテルで地元の女子校、金城学院高校と男子校の東海高校の合同同窓会が初めて開かれた。参加者が楽しそうにはしゃぐ様子を見て、東海側の幹事を務めた野村紀夫(30)は思わず笑みがこぼれた。

両校に通った生徒には共通項が多い。受験勉強のために小学校時代から同じ塾に通い、文化祭などで交流してきた。金城側の幹事、渡辺彩と知り合いだったことから実現した合同同窓会。参加者は両校で129人に膨らんだ。卒業以来、10年ぶりの再会だった。

大阪から来た中西信人は「テレビで被災地の映像を見て、みんな元気かな、会いたいなと思った」という。野村は「震災を機に、昔の仲間に会いたい思いが強まったのかもしれない」と話す。高校を卒業した2000年は、ちょうど携帯電話が普及したころ。「携帯番号だけの関係が増えた。しかも番号が変わると連絡がつかなくなり、そのまま音信不通になる友達が年々増えた」

皆でボランティアをやりたい

野村はいま、医師として名古屋市内で働いている。3月下旬には被災地での診察にも出向き、震災の爪痕を目の当たりにした。「卒業後はみんなバラバラ。東海地方は大きな震災が起こる確率が高いといわれているから、地元の結束を高めておくと心強い。いずれは皆でボランティアなどに参加できるようになれば」と先を見据える。

震災後、同窓会の企画や準備などを代行する笑屋(東京・千代田)には、一気に問い合わせが増えたという。取締役の八木誠(28)は「30歳の節目などにやりたいといった問い合わせが多い。卒業生がばらばらになった地方でも、年末年始に開催したいという相談が増えている」という。

震災で改めて見直された地域や学校、会社などでの人のつながりの大切さ。震災から半年。これから本格化する復興の取り組みは、次代を担う若い世代がそれぞれの現場で協力し合えるかが成否のカギを握る。

=敬称略

※「震災半年、変わる若者」は合計4回に分けて「ビジネスリーダー」に連載します。取材・執筆は小栗太、西雄大、谷口誠、名古屋和希、杉原梓が担当しました。

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