/

雑誌出版社「中抜き」の憂うつ、震源は広告主

「iPad革命」の裏側(3)

 電子雑誌は、アップルの多機能携帯端末「iPad」の登場で最も注目されたコンテンツの1つだった。しかし、紙の世界に軸足を置く出版各社は、さまざまなジレンマを抱え、デジタルの世界へと大きく踏み出すことができないでいる。その一方で、出版社にとってもっとも恐れていた事態が進行していた。自らの存在意義を揺るがしかねない「中抜き」である。
サッカーの中村憲剛選手を表紙で取り上げたクリニークの電子雑誌「Smile」

サッカーのワールドカップ(W杯)で、日本中を興奮の渦に巻き込んだ日本代表。その1人、中村憲剛選手は南アフリカ入りする前、iPad向けに配信されたある電子雑誌アプリケーションの巻頭インタビューで、こう語っている。

「できるだけ多くの人たちを巻き込んで、大きな渦を作りたいし、観る人の心を揺さぶりたい。(中略)僕は試合が終わったスタジアムの、勝利をみんなで共有している時間って、すごく好き。選手もサポーターも、みんな笑顔だから。最高です」

史上初の8強入りを目指したパラグアイ戦。後半に途中出場した中村選手は、延長前半に右サイドから鋭いシュート性の球をゴール前に蹴りこむなど、停滞した戦況に動きをもたらし、深夜の日本を沸かせた。そのプレーにかける思いが、電子雑誌で語られていた。

ただし、掲載された媒体は、大手出版社によるものでも、スポーツ専門誌でもない。米国の高級化粧品ブランド「CLINIQUE(クリニーク)」が自前で新創刊した「Smile」という電子雑誌である。

クリニークは、ファッション誌やライフスタイル誌に巨費を投じてきた大手広告主の1つ。その広告主が「iPad革命」の波に乗り、電子雑誌の出版に乗り出した。広告主による出版社の「中抜き」が、密かに始まっていたのである。

iPadの操作性を生かしたインタラクティブな作り

Smile初号のコンテンツは男性向け。「高級化粧品のエントリーモデル」という位置づけのクリニークは男性向け化粧品の拡販にもグローバルで力を入れており、iPadの初期の顧客層とも合致する。

全25ページのアプリは当然無料で、中村選手のほか、スープの専門店「Soup Stock Tokyo」などを手がけるスマイルズの遠山正道社長、「週刊朝日」の表紙写真などで知られる写真家の藤代冥砂氏ら著名人のインタビューを、豊富な写真とともに掲載している。後半では、「What's About CLINIQUE」と題して、クリニークの歴史や男性向けスキンケアの基礎を自社商品とともに解説するページも用意した。

特筆すべきは、米タイムのiPad向けアプリのように、iPadの操作性を生かしたインタラクティブな作りとなっている点。縦横に方向を変えれば、画面が最適なレイアウトへと変化するのはもちろん、写真をタッチすれば動画が始まり、商品紹介の脇にあるボタンをタッチすれば、ブラウザーが立ち上がって商品の販売ページへと誘導する。

「クリニークのブランドイメージは、クリーンでピュア&シンプル。Smileという雑誌のタイトルも内容もブランドコンセプトと合っていて、読めば読むほど、ずれがない」。クリニークブランドを抱えるエスティ・ローダーのクリニーク事業部でマーケティングのトップを務める日高千絵本部長は、自ら手がけた雑誌を手放しで絶賛する。

雑誌への広告費配分を6割に圧縮

クリニークは昨年から今春にかけて、これまで「ほぼ紙だった」という広告費の予算配分を、「かなりアグレッシブに変えた」という。

従来は多くの外資系ブランドと同様、「雑誌から百貨店へ」という顧客の流れを見込み、ファッション誌や美容関連誌、ライフスタイル誌を活用していた。だが、「若い人は、どれだけ百貨店に行くのだろうか。人の消費行動を変えるほど、まだ広告に力はあるのだろうか、と疑問を持つようになった」と、日高本部長は語る。

そこで本腰を入れることにしたのが、ウェブにおけるマーケティングだ。ほぼ雑誌に投じていた広告費の配分を6割に下げ、残りは一気に新規顧客を掘り起こすべく、初めて実施したテレビCMとウェブで分け合う予算を組んだ。同時に、ネット通販にも乗り出した。

 ネット通販は、販売チャンネルを百貨店に絞ってきた高級ブランドにとって「タブー」とされてきた。だが、ウェブでのマーケティングを実施する以上、受け皿が必要と判断し、昨年11月にオンラインショップの開設へと踏み切った。

ただ、露出する媒体を絞らず闇雲にバナー広告などを出せば、守ってきたブランドイメージを毀損(きそん)する結果となり元も子もない。従来型の広告自体、消費者には刺さらなくなってしまっている。ウェブで何をすればいいか――。「やっぱり紙の雑誌は安心できる」と実感していた日高本部長が思案に暮れていた時に出てきたのが、iPadだった。

雑誌としては脅威ではないが・・・

Smileの初号は男性向け。スキンケアの習慣もクリニークのブランドも浸透していない層だが、アプリはiPadユーザーのあいだで話題を呼び、2日間で1000以上ダウンロードされた。このアプリが関連付けられていた「健康&フィットネス」のカテゴリーでは、しばらく人気ランキングの首位につけていた。

男性向けスキンケアの基礎を解説する「Smile」のページ

利用者の評価欄には「まさにiPadならではの表現。単純に雑誌をPDF化して載せているアプリが大半の中で、(中略)動画、写真、テキストと、iPadにおける雑誌表現の可能性を感じる」といったコメントも寄せられた。当初は、オンラインショップの男性向け化粧品の売り上げも上向いたという。

もちろん、知名度がある既存雑誌に比べれば、影響力は微々たるものだ。紙の雑誌のように、新創刊に合わせて大々的な広告宣伝をしたわけでも、派手な記事や写真が並ぶわけでもない。ダウンロード数はアプリの配布開始から1カ月、6月末時点で1万にも届いていないもようで、既存の雑誌や出版社にとって即、脅威となるような存在ではない。

しかし、クリニークは当然ながら、雑誌ビジネスに乗り出したいわけでも、出版社になりたいわけでもない。ここで指摘しておきたいのは、Smileが雑誌のビジネスモデルを崩壊させる可能性を垣間見せたことである。

「タイアップ」広告を引き上げ、自前で

雑誌には、広告ページとは別に、「タイアップ」と言われる「広告に見えない広告」がある。ファッション誌や情報誌の場合は編集部がコンテンツを作成し、雑誌のなかに自然な形で練り込まれているため、編集ページと見た目は変わらない。その発展形として、編集部が自主的に取材を行った通常の記事に広告主の商品やサービスを露出させる「ペイドパブリシティー(ペイパブ)」という手法もある。ともに、料金が発生し、広告主の意向が反映されるれっきとした広告商品だ。

消費者の広告アレルギーが顕著になってきた昨今、タイアップは広告主に重宝され、増加の一途をたどっている。広告関係者によると、「ファッション誌や情報誌のほとんどが、タイアップによって大きな収益を得ており、収入比率が純広告と同等まで伸びている雑誌も多い」という。

言い換えれば、広告不況にあえぐ雑誌業界は、タイアップ抜きでは成立しないほど、見えざる広告に依存している。タイアップまで失ってしまえば、さらに苦境に立たされるのは自明。その可能性を、クリニークのSmileは示唆した。

「こんなぜいたくな、こんなボリュームの『タイアップ』は、いままでなかった」と日高本部長は語る。クリニークにとってSmileは、既存雑誌で展開していたタイアップを抜き取ったようなもの。つまり、見えざる広告にコストをかける代わりに、雑誌出版社ではなく自前の電子雑誌へと振り向けたのだ。

 当初は男性向けで、季刊誌としてSmileを投入していく計画だが、日高本部長は「軌道に乗れば、秋以降は女性向けの月刊誌の創刊も視野に入れている」と話す。そして、こう続ける。

「広告主が伝えたいこと、雑誌がやりたいことを、足して2で割るのがタイアップ。編集者によっては、こちらが意図するものと違う方向性になってしまうこともある。でも、自前の電子雑誌ならば、そういった心配はない」。

社団法人雑誌広告協会によると、クリニークは外資系による輸入品の広告主ランキングで8位に位置する大口の広告主(2008年出稿統計より)。9位以下、グッチジャパン、ランコム、ジョンソン&ジョンソン、ティファニー&カンパニー、マイクロソフトと続く名だたる企業の上に立つ。

ちなみに、クリニークを抱える親会社であり、自らも高級化粧品ブランドであるエスティ・ローダーは、同ランキングで5位。このグループがいち早く動いた意味は、雑誌出版社にとって大きい。海外でも、ドイツのBMWが自前のブランドマガジンをiPad向けに刊行するなど、広告主による出版の動きは広がっている。雑誌出版社にとって憂うつな事実はさらにある。

既存雑誌を支えるプロ集団が支援

iPad革命で広告主が自前で電子雑誌を届けられるようになったからといって、そうそう簡単にデジタルのアプリを作れるものではない。技術力はもちろん、雑誌出版社が得意としてきた取材や編集の能力、さらには、レイアウトやデザインのディレクションも必要となる。だが、そうした機能を広告主にパッケージで提供するプロ集団が、すでに存在しているのだ。

実はクリニークのSmileは、本来なら広告主と雑誌などのメディアをつなぐ役割のPR会社が企画し、提案したことに端を発している。ファーストリテイリングやエステー、グーグルなど大手広告主を多数抱えるビルコム(東京・港、太田滋社長)だ。

旧来型のマスメディアへのパブリシティーに加え、ウェブを駆使した新手のPR戦略を得意とするビルコムは今年5月、「ブランドマガジン for iPad」という新サービスを開始した。その1号案件がクリニークのSmileである。新サービスの営業用資料には、こう書かれている。

「雑誌やウェブでは体験できない、新しい刺激がiPadの最大の特徴。刺激が消費者のエンゲージメント(企業への信頼、絆)向上とクチコミを誘発する」「電子雑誌の企画・制作・アプリ開発・PRまでを一貫で支援」。その布陣が、すごい。

企画立案やプロジェクト全体の進行管理、電子雑誌のPR業務はビルコムが担当するが、コンテンツの取材や編集、デザインは、雑誌の世界でトップレベルの評価を得ているCap(東京・港、藤本やすし社長)のサポートを得ている。

米タイムが採用したシステムを導入

デザイン会社、Capのホームページには、手がけた雑誌の表紙がずらりと並ぶ

Capは、雑誌のアートディレクションを手がけてきた著名なデザイナー、藤本やすし氏が率いるデザイン会社。コンデナスト・ジャパンの「VOGUE NIPPON」や「GQ JAPAN」、マガジンハウスの「BRUTUS」や「GINZA」など、藤本氏がデザイナーとして関わった雑誌は100誌以上にのぼる。

このCapが手がけることで、電子雑誌と言えども、既存の雑誌顔負けのデザインやレイアウトが実現する。加えてビルコムは、技術面でもトップレベルのシステムを用意した。

「これまでの電子雑誌とiPadの一番の違いは、タッチして何かが起きる点。紙の雑誌の焼き直しでは、iPadでやる意味がない」。そう話すのはビルコムでブランドマガジン事業を担当する野崎耕司マネジャーだ。

ビルコムが目を向けたのは、iPad向けの電子書籍や電子雑誌で先を行く米国。米タイムのアプリは、価格面での評価はさておき、iPad革命の象徴として新時代の雑誌の姿をいち早く示した。そのアプリの開発に使われているシステムと同じものを、広告主の自費出版でも使えるようにしたのだ。

 新聞や雑誌のDTPシステムで世界的に大きなシェアを握るオランダのWoodWingは、iPadの発売に合わせて、世界シェア1位である米アドビ・システムズのDTPソフト「InDesign」と連携する新たなシステムを開発した。タイムは、このWoodWingのシステムを採用している。

ビルコムは今回、WoodWingと国内における販売代理店契約を結ぶビジュアル・プロセッシング・ジャパン(東京/渋谷、三村博明社長)と提携し、このシステムを手に入れた。クリニークのSmileができあがった陰には、こうしたプロ集団の存在があったのだ。

広告主が出版社を介さず、自ら媒体を手がけて消費者へ直接届け始める。さらに、これまで出版社を支えてきたパートナーが、新たなビジネスチャンスを開拓すべく、出版社の中抜きを支援する――。この皮肉な現実を出版社にもたらしたのは、出版社が自らを救ってくれると期待したiPad革命にほかならない。

作家や編集者が自ら発信

iPadの登場前から、国内外で予想されていたもう1つの中抜きも進行しつつある。著者や編集者が直接、自ら媒体を持って発信するという中抜きだ。

6月17日、著名な作家や編集者が集まって企画・編集された電子雑誌「AiR(エア)」の配信がアップルのアプリ配信サービス「アップストア」で始まった。価格は350円(先行キャンペーン価格)。スマートフォン「iPhone」とiPadの両方に対応したアプリと、雑誌のように高精細な表示を可能にしたiPad向けアプリの2種類がある。

紙の書籍に換算して300ページ以上というエアは、文芸雑誌のような構成。作家の桜坂洋が名作漫画を小説化した「デビルマン魔王再誕」、「パラサイト・イヴ」で知られる瀬名秀明の新作小説「魔法」など、すべて書き下ろしの9作品が収録されている。

「AiR」に収録された桜坂洋の小説「デビルマン魔王再誕」
瀬名秀明の新作小説「魔法」

90万部以上が売れた書籍「生協の白石さん」(講談社刊)の編集を手掛けたフリー編集者の堀田純司氏が、全体の構成や編集を担当。全員が「個人として参加して作った」手作りの電子雑誌だ。堀田氏は「出版活動が『そのまま電子になりました』だけでは、半分くらいしか心が踊らない。本が実体から解放され、もはや流通と頒布の手段が、作品の発表のハードルではなくなった。これこそが電子書籍の魅力ではないか」と創刊の理由を語る。

「良質な作品が集まり、満足できる内容でした」「内容もさることながら物書きが独自に電子書籍の可能性を実践する試みに感動しました」。アップストアの評価欄には、好意的なコメントが並び、iPad向けアプリの電子書籍カテゴリーのランキングでは、有料アプリで10位と健闘を見せている。「紙で出せば1400円の価値はある。それを350円のキャンペーン価格でも十分に利益が出るほど、受け入れていただいた」と堀田氏は話す。

チャンスは平等、腕の見せどころ

一方で、堀田氏は「出版社中抜きが目的ではない。文芸が装置産業から解放されたとき、何ができるのか、可能性を模索するためにやっている。出版社には訴訟対応能力や権利ビジネスなど組織力という強みがある」とする。ただ、出版社からすれば、自らの存在意義を否定する行為に映り、憂うつの種が増えたことには違いない。「出版社や雑誌のブランドに関係なく作家は動き、良質なものであれば、市場は受け入れる」という事実をエアは露呈した。

雑誌「サイゾー」などを出版するインフォバーンの小林弘人社長は著書「新世紀メディア論」(バジリコ刊)で、こう指摘している。「実は雑誌社が気づいていないのは、信頼に足るはずだった自分たちの媒体が、出稿企業へのご機嫌伺いにより、提灯記事のオンパレードとなり、それをマニアたちに見破られていたりすること」。

紙とデジタル、制作コストと価格、さまざまなジレンマを出版社に突きつけたiPad革命は、出版社を支えてきた広告主やパートナーにもチャンスを与えた。ただ、「流通」という既得権益を脅かされ、ビジネスモデルを揺るがされる構図は、一連のネット革命で忸怩(じくじ)たる思いをしてきた他の業界と同じ。来るときが遅かっただけだ。

iPad革命は万人に平等であるというだけで、間違いなく出版社にも新たな機会をもたらしている。競争は激しくなるが、競争は良貨を生む。コンテンツビジネスの経験があるだけ、分はある。いまこそ、腕の見せどころなのではないだろうか。=おわり

(電子報道部 井上理)

すべての記事が読み放題
まずは無料体験(初回1カ月)

セレクション

トレンドウオッチ

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン