2019年8月18日(日)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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57歳で初当選、岸内閣の官房長官に 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(3)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(4/4ページ)
2012/8/19 7:00
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岸は椎名を官房長官に起用した理由について「新安保条約締結という最大の仕事にかかるのだから、一番信頼している人を、あそこに置かなければと思ったからだ。だから、特に椎名君になってもらった。官房長官というのは、気心のわかっている人、ちょっと指一本動かしても、あいつ何を考えているか――がわかる間柄でないとね。とくに、あの忙しい、緊迫した時期、ゆっくり話し合って、どうするなどということの出来ない場面で、私のすべてを理解してやってくれる人――という意味で、私が信頼できるのは椎名君だと思ってなってもらった」と述べている。

2年生ながら椎名は「大物官房長官」と評判になった。記者団の質問に「そういう細かいことは総理に聞いてくれ」と平然と答えた。新聞は「椎名首相・岸官房長官」などとかき立てた。安保国会は川島幹事長が指揮をとっていたので、椎名官房長官は党内対策、特に池田派対策に気を遣った。池田側近の前尾繁三郎や大平正芳と会談を重ね「池田氏はくれぐれも自重するように」と忠告した。池田が黙って安保成立に協力すれば、次の政権は池田になることを示唆していた。岸首相とはあうんの呼吸だった。

安保条約の批准書交換を国会内の自民党控え室で発表する椎名官房長官=朝日新聞社提供

安保条約の批准書交換を国会内の自民党控え室で発表する椎名官房長官=朝日新聞社提供

岸首相と池田はもともとソリが合わず「池田君には足を引っ張られるばかりで、助けてもらったことはない」と語るほどだった。岸は大野伴睦副総裁との間に「次の政権はあなたに譲る」との密約も結んでいた。その一方で、吉田元首相が安保成立に協力する見返りとして岸から池田へのバトンタッチを強く望み、財界主流も圧倒的に池田を支持していた。

1960年(昭和35年)6月19日、新安保条約は国会で自然承認となり、岸内閣は安保条約の批准書交換を見届けて退陣した。椎名官房長官は岸内閣幕引きの役割を担った。後継について沈黙を守っていた岸は大野伴睦が総裁選出馬を辞退すると一転、池田支持を鮮明にした。岸派と佐藤派の支持を得て後継総裁には池田勇人が当選した。椎名は池田側近の前尾・大平と連絡をとり、岸から池田へのバトンタッチに少なからぬ役割を果たした。椎名はもともと池田のざっくばらんな人柄と独特の経済政策を高く評価していた。

椎名の官房長官としての仕事ぶりを岸は次のようにも述べている。「大体、椎名君というのは上に行けば行くほど偉くなる男だ。役人時代の椎名君は、上に立つ者にとっては使いにくい男でネ。上役だろうが何とも思わない。『フン』といってソッポを向くようなところがあったからね。だからあまり『可愛がられる』方じゃなかったね。ところが、上に行けば行くほど、『先生』は人使いがうまいし、要点をつかむ洞察力、先見性というものは私も及ばない非常に優れたものを持っていたね。石田(博英)、愛知(揆一)、赤城(宗徳)と3人の官房長官を使ってみたが、椎名君は小回りはきかない、腰は重いしで、平時においては、官房長官としてさて、適任だったかどうか、何ともいえんがネ」。さすがの岸も椎名は使いづらかったようである。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 「記録椎名悦三郎(上下巻)」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 椎名悦三郎著「私の履歴書」(私の履歴書第41集収載=70年日本経済新聞社)
 「現代史を創る人びと4(椎名悦三郎インタビュー収載)」(72年毎日新聞社)
 「椎名悦三郎写真集」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)

※1枚目の写真は「椎名悦三郎写真集」から

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