政客列伝 松野鶴平(1883~1962)

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吉田首相の政治指南役 「吉田茂を引き出した男」松野鶴平(5)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2012/6/10 7:00
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1947年(昭和22年)4月25日、新憲法施行を前にして戦後2回目の総選挙が実施された。4月20日には初めての参議院議員選挙が実施された。選挙の直前、進歩党は芦田均を迎え入れて民主党になった。総選挙では熊本1区で公職追放中の松野鶴平に代わって三男・頼三が自由党公認でトップ当選を飾った。参議院議員選挙では自由党の総裁候補にもなった松平恒雄が福島地方区から無所属で出馬して当選し、初代の参議院議長になった。総選挙の結果は社会党が第1党になり、吉田自由党は下野して社会、民主、国協3党連立の片山哲内閣が発足した。

■官房長官に非議員の佐藤栄作を推薦

1947年(昭和22年)4月
三男・松野頼三が熊本1区で自由党から衆議院議員初当選
1948年(昭和23年)10月14日
山崎猛民自党幹事長が山崎首班問題で議員辞職
同年10月19日
第2次吉田内閣発足、官房長官に非議員の佐藤栄作就任
1949年(昭和24年)6月17日
タキノ夫人死去
1951年(昭和26年)8月6日
公職追放解除
1952年(昭和27年)8月28日
抜き打ち解散
同年10月20日
参議院熊本地方区補欠選挙で当選、政界に復帰
同年10月23日
吉田・鳩山会談を仲介

片山内閣は昭和23年2月、社会党の内紛で総辞職した。首相指名選挙で民主党の芦田が自由党の吉田茂を破って首相となり、3党連立を維持した。その直後に幣原喜重郎ら民主党脱党組が自由党に合流して民主自由党が結成され、第1党になった。同年10月、昭電疑獄で芦田連立内閣が崩壊し、後継内閣は第1党の吉田民自党になると見られたが、そこへまさかの山崎首班事件が起きた。

昭電疑獄で大打撃を受けた民主党、社会党が解散を回避するため、民自党幹事長の山崎猛を首班に担いで挙国内閣を作ろうとした策謀で、吉田内閣の出現を望まない占領軍の一部が背後で動いていた。この動きをいち早く吉田総裁に伝えたのは民自党副幹事長だった広川弘禅である。吉田は直ちに松野に対応を相談した。松野と山崎は大正9年の同期当選組でしかも親戚であった(山崎は野田卯太郎の姪婿)。松野はやはり同期当選組で山崎と仲がいい益谷秀次に目をつけた。吉田は益谷に「議員辞職をすれば次は閣僚にする」との条件で山崎を説得するよう指示した。

山崎は益谷の説得を受け入れ、首相指名選挙当日の民自党代議士会で「政変時病気で寝込んでおり、この話は全く自分の関知しないところであって、民自党の党員として、党議に従って行動する」と弁明して議員辞職した。吉田はその一方で大麻唯男を通じて、民主党副幹事長で芦田の側近だった保利茂とひそかに会談し、民主党が山崎首班構想に乗らないよう働きかけ、選挙後の民自党と民主党の連立を持ちかけていた。

山崎の議員辞職でこの事件は収束し、吉田が首相に指名されて民自党単独少数の第2次吉田内閣を組織した。この組閣で松野は運輸次官の佐藤栄作を官房長官に起用するよう進言した。松野は鉄道大臣時代に佐藤を知り、その手堅い手腕を高く評価していた。第1次吉田内閣の際も運輸大臣に推薦した経緯があった。今度は吉田が受け入れ、佐藤は非議員で官房長官に就任した。これが佐藤の政界入りのきっかけであり、佐藤は終生、松野を大恩人として敬った。

鳩山一郎(右)と会談する松野鶴平(左)。中央は大野伴睦=毎日新聞社提供

鳩山一郎(右)と会談する松野鶴平(左)。中央は大野伴睦=毎日新聞社提供

吉田首相は昭和23年12月、衆議院を解散し、翌年1月の総選挙で吉田民自党は264議席を獲得して圧勝し、吉田政権は安定軌道に入った。第3次吉田内閣には約束通り山崎猛が運輸大臣として入閣した。また、松野の推薦で橋本龍伍が厚生大臣になった。大蔵官僚出身の橋本は仕事熱心で気骨があり、その点を松野は買っていた。橋本は厚相になると戦没者遺族の援護に熱心に取り組み、その予算措置をめぐって吉田首相と衝突して辞表を出すなど硬骨漢ぶりを発揮した。橋本も松野を「政治の師」と仰ぎ、しばしば松野の家を訪れた。

民自党は1950年(昭和25年)3月、犬養健、保利茂ら民主党連立派を吸収して自由党に党名を変更した。公職追放中、松野は身内の不幸が相次いだ。昭和22年5月、長男昌太郎が病死した。昭和24年6月にはタキノ夫人に先立たれた。追放中も吉田の指南役と見られていたので来客は多く、退屈した様子はほとんどなかった。引き続き地元の熊本電鉄社長を続けており、昭和22年6月から新たに熊本製粉社長に就任した。

■抜き打ち解散を演出、参議院議員で政界復帰

1951年(昭和26年)8月6日、松野は鳩山、大麻、前田米蔵らとともに追放解除になった。その直前、鳩山は「追放解除が遅れているのは吉田が邪魔をしているからだ」と激しくいらだち、脳梗塞(こうそく)で倒れた。追放解除組の鳩山、松野、三木武吉、河野一郎、石橋湛山らは自由党に復党した。終戦直後に進歩党に参加した旧政友会の前田米蔵一派も自由党に入党した。大麻、松村謙三ら旧民政党系は新政クラブを結成し、国民民主党と合流して改進党を結成した。

松野はすでに67歳になっていた。追放解除後、地元の支援者にあいさつ回りをして「政治は私の一生を通じての使命であり、今後も大いにやるつもりだ。衆議院は息子がやっているので、出馬の意思はないが、中央、地方の別なく実際の世話をやっていくつもりでいる」と述べて参議院にくら替えすることを示唆した。鳩山ら戦前派大物政治家の復帰で政界は風雲急を告げる情勢となった。

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