2019年8月25日(日)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

フォローする

劇的だった椎名裁定 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(6)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(2/3ページ)
2012/9/9 7:00
保存
共有
印刷
その他

椎名は前尾に政権を引き受けるよう勧めた。前尾はこのころ咽頭ガンであることがわかり、近々手術の予定だったので健康を理由に断った。灘尾にも後継を勧めたが、灘尾は「自分はその器ではない。福田赳夫君が最適任だ」ときっぱり断った。前尾と灘尾に逃げられて椎名の頭の中に残ったのは保利茂である。田中に近い金丸信と田村元が熱心に保利擁立に動いていた。保利は一貫して椎名に協力する姿勢も見せていた。

椎名、前尾、灘尾の3人は田中首相が金権政治、金脈問題で批判されて退陣したことを踏まえ、後継総裁は党改革、政界浄化に取り組む人物がふさわしいとの考えで一致した。椎名は前尾に「三木はどうか」と相談した。三木武夫は池田内閣時代に前尾幹事長の下で党組織調査会長として党近代化、派閥解消に熱心に取り組んだ実績があった。前尾は三木に賛成した。灘尾も同様の判断だった。椎名は「三木か保利か」の判断を固めつつあった。

■「行司がまわしを締めた」

11月29日、椎名副総裁は党本部で中曽根康弘、三木武夫、大平正芳、福田赳夫の4実力者と個別に順次会談した。中曽根と三木は椎名調整に委ねる考えを示した。福田は福田支持が多い党顧問会議の意見をよく聞くよう注文したが、基本的には椎名調整を尊重する姿勢を見せた。大平だけは椎名調整に反対し、総裁公選によって本格政権を作るべきだと主張した。

大平「後継者の選考を副総裁はどうお考えですか」

椎名「今は重大な局面だ。だから来年夏ごろまで暫定的な政権を作り、その間に党の体調を整えて、その後に本格的な政権をつくった方がよいのではないか」

大平「ということは、副総裁の立場上、椎名さんということも考えられるが」

椎名「体が弱いから、こっちから積極的にやる気はない。が、みんなから是非と言われれば逃げるわけにもいくまい」

大平「お話は理解できぬこともないが、重大な局面だからこそ、半年もの間、経過的な政権をつくるのは適当ではない。賛成できない」

椎名・大平会談の後、大平派から「行司が回しを締めた」という話が一斉に広まった。調整役のはずの椎名が政権に色気を見せたことを揶揄したもので、椎名調整をつぶすのが狙いだった。大平派は総裁公選に持ち込んで田中派の支持を得て政権をとることをもくろんでいた。大平の反対で椎名は自ら政権を引き受けることを断念し、調整役に徹する決意を固めた。椎名の心境は「後継は三木」に大きく傾いた。

11月30日、椎名は午前10時から党本部で福田、大平、三木、中曽根の4実力者と一堂に会し、夕方まで協議を続けた。協議の冒頭、椎名は「後継総裁の候補はここにいる4人のうちしかいない」とあいさつし、司会役に中曽根を指名した。中曽根は「副総裁、4人だけというのは僭越です。候補者は他にもいる」と異議を挟んだ。中曽根はまだ「椎名暫定が本命」と思い込んでいた。椎名は中曽根の異議を黙殺して議事進行を促した。

この日の協議では、誰が後継総裁になっても人事は挙党体制で行く、幹事長、経理局長、財務委員長は総裁派閥から出さないことで意見が一致した。しかし、総裁選出方法では福田、三木、中曽根が話し合い選出を主張し、大平は総裁公選実施を譲らず、決着がつかなかった。椎名は「今夜もう一晩考えて、私なりの結論を出したい。明朝もう一度ご足労願いたい」と発言して、この日の協議を打ち切った。大平派は話し合い決裂、総裁公選突入必至と判断した。二階堂幹事長、鈴木総務会長は総裁選実施の準備に入った。

後継総裁に三木武夫(右)を指名した椎名副総裁(左)=朝日新聞社提供

後継総裁に三木武夫(右)を指名した椎名副総裁(左)=朝日新聞社提供

12月1日朝、椎名副総裁が自民党本部に入ると二階堂幹事長があわてて副総裁室に駆け込んできた。「副総裁、きょうの段取りはどうなります」「裁定案を出すよ。三木だ」「ちょっと待ってください。いま党3役を集めますから」。椎名は二階堂幹事長にかまわず、福田、大平、三木、中曽根が待つ総裁室に入り、背広のポケットから便せんを取り出して裁定文を読み上げた。

  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 次へ
保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ連載トップ


日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報

新しい日経電子版のお知らせ

より使いやすく、よりビジュアルに!日経電子版はデザインやページ構成を全面的に見直します。まず新たなトップページをご覧いただけます。

※もとの電子版にもすぐ戻れます。