2019年2月18日(月)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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劇的だった椎名裁定 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(6)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2012/9/9 7:00
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1974年(昭和49年)7月の参議院選挙で自民党は空前の金権選挙、企業ぐるみ選挙を展開したが、結果は不振だった。三木武夫副総理と福田赳夫蔵相は田中角栄首相の政治手法を批判して相次いで辞任し、田中政権は窮地に陥った。椎名悦三郎副総裁は田中首相に「党改革に取り組むいい機会だ」と進言した。この結果、8月1日、自民党に椎名を会長とする「党基本問題及び運営に関する調査会」(椎名調査会)が設置され、各派閥の有力者が顔をそろえて改革論議が始まった。

■田中首相、「椎名暫定政権」を望む

退陣表明した田中角栄首相=朝日新聞社提供

退陣表明した田中角栄首相=朝日新聞社提供

同年10月、雑誌「文芸春秋」が田中首相の金脈問題の特集記事を掲載した。田中の独特の錬金術が暴かれ、田中事務所を取り仕切る佐藤昭の存在も暴露された。その記事で田中首相はますます精神的に追い詰められた。田中は10月28日からの豪州、ニュージーランド訪問を控え、25日に前尾繁三郎、河野謙三衆参両院議長に外遊あいさつをした。田中と河野は昵懇の仲であり、田中は河野に弱気になっている心境を吐露した。「田中首相が辞意か」との観測が広まった。

10月26日早朝、椎名は目白の私邸に田中を訪ねた。田中は重大事を打ち明けた。「このまま国会を乗り切るのは難しい。あなたに政権を預かってもらいたい」。椎名は「私はその任じゃない。ご覧の通り健康な体でもない」と断った。椎名は76歳で体力の衰えを感じていた。田中は「この際、曲げて頼みます」と頭を下げ、椎名は「まあ、ゆっくり考えさせてくれ」と引き取って田中邸を辞去した。田中の側近でご意見番の木村武雄が椎名の後を追いかけて「来年1月の党大会で総裁追認に持っていく。ぜひ引き受けてくれ」と迫った。

椎名暫定政権説は政界にじわじわ広まった。これを聞きつけた三木武夫と中曽根康弘は相次いで椎名に「あなたがやるなら、及ばずながら何でもお手伝いする」との意向を伝えてきた。保利茂は金丸信、田村元の仲介で11月4日、静岡県須走の別荘に椎名を訪ねて会談した。椎名と保利はそれまで疎遠だったが、保利は「ここは副総裁のご奮発をお願いしたい。このままじゃ、田中も辞めるに辞められんでしょう。鳩山さんだってあの体でモスクワに行き、日ソ国交正常化をしてきたじゃないですか」と椎名の奮起を促した。椎名は言葉を濁したが、田中外遊後の内閣改造では椎名が副総理として入閣し、保利も椎名を補佐して入閣することで意見が一致した。

11月8日、外遊から帰国した田中首相は内閣改造に着手した。フォード米大統領の訪日を迎える体制を強化し、椎名暫定政権への布石を打つ狙いがあった。椎名は田中首相と会談し、党改革の観点から、また椎名暫定も視野に入れて幹事長には中間派(船田派)の福田一、総務会長には田中派の西村英一、政調会長には大平派・前尾系の小山長規という人事案を提案した。田中は田中派内の突き上げもあって側近の二階堂進の幹事長起用にこだわり、総務会長は大平派の鈴木善幸、政調会長は中曽根派の山中貞則を起用した。

椎名は3役案が受け入れられなかったので、田中が求めた副総理入閣を謝絶した。保利は田中との会談で「話が違うじゃないか」と詰め寄り、保利の調整で椎名も「君が入閣して補佐してくれるなら」と折り合い、「椎名副総理、保利法相」がいったん固まった。しかし、土壇場で大平蔵相が椎名副総理案に猛反対した。総裁公選で次期総裁をめざす大平は椎名暫定政権構想に激しく抵抗した。結局、椎名副総理入閣は見送られ、田中の内閣改造は失敗して政権はますます弱体化した。

11月15日、田中首相は保利茂と会談し、内閣改造の不手際をわびて「後は椎名さんにやってもらうしかない。そのため、もう一度、あんたの力を借りたい」と協力を求めた。田中は中曽根通産相とも会って「椎名さんに後を預かってもらうのが最上だと思っている」との意向を伝えた。中曽根は「その話は漏れ聞いてはいたが、実は私も賛成です」と答えた。中曽根は中間派を結集して話し合いによる椎名暫定政権実現に向けて動き始めた。椎名の周辺はにわかに慌ただしくなった。

田中首相はフォード米大統領離日後の11月26日、正式に退陣を表明した。これに先だって田中は22日に椎名に辞任の意向を伝え、辞任後の事態収拾を託した。総裁公選を実施すれば、党分裂の恐れもあったから椎名は話し合い決着をめざした。札束が乱れ飛ぶ派閥中心の総裁選のあり方に椎名はかねて「賭け金ばかりが高い草競馬」と批判的だった。問題は誰が後継を引き受けるかである。椎名は自分が引き受けるべきかどうかで迷いに迷った。健康には最後まで自信が持てなかった。椎名は「3賢人の会」の前尾繁三郎衆議院議長と灘尾弘吉を相談相手にして後継選考を進めた。

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