この夏、日本のエネルギー環境において残念で深刻な事態が2つ判明した。一つは東京電力・福島第1原子力発電所の汚染水問題であり、もう一つは再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が思うように進んでいないことだ。
■「海のチェルノブイリ」回避を
まず汚染水問題について考えてみたい。2011年の福島原発事故から約1カ月後、私は「海のチェルノブイリ」は避けなければならないという記事を4月10日付の日本経済新聞朝刊に書いた。このときすでに炉心冷却のため注入した水が放射性物質で汚染され、現地では原発建屋外に漏れ海にも流出する事態に直面していた。
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は、格納容器のない炉心で爆発と火災が起き、核燃料のほとんどが吹き飛ばされて舞いあがり世界へと拡散した。その量は福島事故の数倍といわれており深刻な汚染をもたらした。ただ事故現場は火災が鎮火すれば、燃えるものや冷やすべきものがほぼなくなった。コンクリート壁で遮蔽し封じ込めてしまえば、外部にさらなる害を及ぼす危険は少なかったのである。
一方福島の事故は格納容器が致命的な破壊を免れたため、大気中に噴き出した放射性物質の量は比較的少なかった。とはいうものの核燃料は依然として原発内部にあり、数年以上は冷やし続けなければ再び溶融する危険性をはらむ。冷却作業を止めるわけにはいかず水を循環させ続ける自転車操業が今も続く。この意味では福島の事故は完全には収束していない。
悪いことに建屋の地階は水密性がない。地下水が流れ込んだり内部のたまり水が流れ出したりする。もともとそうだったのか地震で壊れたせいなのか原因は分からない。いずれにせよ内部の高濃度汚染水の漏出を防ぐために建屋内の水位を低くすると、外から際限もなく地下水が入り込んで汚染水を増やし続けることになってしまった。「海のチェルノブイリ」と指摘したのは、水の扱いを誤ると海の汚染を長期化させかねないと考えたからだった。
この構図は今も変わらず続いている。冷静になって考えれば事故直後の極度に切迫した状況と異なり、今は時間的余裕も物資もあるはず。事態を収束させられないのは時間や物資の使い方を誤っているからではないだろうか。