2019年2月16日(土)

日米外交60年の瞬間 第3部

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ドッジ登場に驚く日本全権団 サンフランシスコへ(54)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/8/25 7:00
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サンフランシスコには要人が相次いで到着する。日本では「ドッジライン」で知られるデトロイト銀行総裁のジョセフ・ドッジも1951年9月2日、サンフランシスコに到着した。米全権団顧問の資格でのサンフランシスコ入りだった。

■借款要請は受け入れられず

ドッジのサンフランシスコ会議参加は、日本側にとって予想外だった。全権団に名を連ねている池田勇人蔵相、一万田尚登日銀総裁らはサンフランシスコの後、ワシントンを訪れてドッジらと会談するつもりだった。そのために池田が箱根で猛勉強したことはすでに紹介した。

ドッジと池田との会談はワシントンではなく、サンフランシスコで3日に行われることになった。日経の大軒特派員らは池田・ドッジ会談の議題を次のように推測した。

 ・占領行政の廃止に伴う日本経済と国際経済上の諸問題
 ・ガリオア打ち切りに伴う諸問題
 ・外債の処理
 ・昭和26年度補正予算および27年度予算

ガリオアという現代ではわからない言葉が説明もなく出てくる。GARIOAつまり、Government Appropriation for Relief in Occupied Areasであり、「広辞苑」によれば、「占領救済資金。第二次大戦後アメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るためにアメリカ政府が支出した援助資金」とある。

当時の日本ではよく知られた言葉だった。日本の立場から簡単にいえば、米国からの借金だった。

独立しても、日本財政は独り立ちできる状態ではなかった。26年度補正予算および27年度予算について米側と調整するのが当たり前のように記者たちは書く。

マークホプキンズ・ホテル=毎日新聞社提供

マークホプキンズ・ホテル=毎日新聞社提供

池田・ドッジ会談は3日午前10時30分(日本時間4日午前3時30分)からマークホプキンズ・ホテルで行われた。当時の日米の圧倒的な立場の差はあったにせよ、現職の蔵相と銀行総裁である。ドッジが池田の宿舎を訪問した。

会談は2時間にわたった。米側からは国務省北東アジア局経済課のヘメンディンガー氏、日本側からは渡辺武財務官らが同席した。

蔵相が持参した資料に基づいて講和後の借款など日米経済協力に関する具体的な諸問題を検討したが、当然ながら結論は出なかった。米側が一度の会談で借款にイエスというとは日本側も考えていなかった。

池田は会談後、次のように冷静にコメントした。

「今後の日本の経済政策は国際的なあらゆる点を加味してゆかねばならぬと痛感した。民間会社では米国の銀行から借り入れを行うものもあるかもしれないが、政府対政府の借款交渉はまだその段階ではない」

池田・ドッジ会談は4日も続いた。今度は池田がドッジの宿舎であるパレスホテルを訪問した。

4日は講和会議開幕の日であり、池田・ドッジ会談に関する報道は減っている。しかし実は池田・ドッジ会談には当時の新聞が書いていない人物が同席していた。その人物は歴史の証人として会談の模様を書き残している。

■めでたい席で借金返せ

その人物とは後に首相になった宮沢喜一である。宮沢は池田の秘書官だった。

この物語は宮沢が書いた「東京―ワシントンの密談」にも負いながら、筆を進めていく。

3日の池田・ドッジ会談について宮沢は次のように書く。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

「サンフランシスコへついた翌日、9月3日の朝、ドッジ氏がホテルへたずねてきた。彼も米国の代表団の一員になっていたわけだが、この時は池田蔵相とドッジ氏と、現在国務省の北東アジア局長のへメンディンガー氏と私と、4人で2時間半ほど色々議論をした」

「講和後の予算の話などもかなり出たが、主な議論は、占領中に生まれた対米債務つまり『ガリオア』の話で、ドッジの、これから日本はどうして『ガリオア』を払う積もりか、という質問からはじまった」。例のガリオアである。

宮沢は「講和会議という一応お芽出たい時に、占領中の債権のことを忘れずに云い出すドッジという人も相当な人間だと今さら考える」と感想を述べている。借款要請は受け入れられず、逆に債務返済を求められる。つまりは借金しようと思ったら、過去の借金を返せといわれたわけである。

米国の冷徹さでもあるが、講和後の日本の自立に対する米側の期待でもあったのか。

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