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すし詰めの免震棟、異様な雰囲気

福島第2原発で何が起きたか(下)

編集委員 滝 順一

 東京電力・福島第2原子力発電所は東日本大震災の津波によって、原子炉の熱を取り除く機能を一時的に失った。しかし冷却装置の緊急復旧により被災後5日目(2011年3月15日)までに全号機で冷温停止を達成した。11年12月末には「原子炉緊急事態宣言」を解除し本格的な復旧作業に着手、今月末には被災したすべての設備類を恒久的な設備に交換し整備を終わる。今後、廃炉になるのか運転再開があるのか見通せないが、それまで安定した状態を維持できる体制を固めた。

福島第1で爆発、空間放射線量高まる

被災当日の深夜、復旧班の40人が岸壁沿いに8棟ある海水熱交換器建屋を調べに行った。炉心の核燃料が出す熱を取り除く残留熱除去系(RHR)について1、2、4号機ともB系(各号機にA、B2系統ある)を優先的に復旧させる方針を決めた。

全長900メートルの仮設ケーブルを人海戦術で1、2号機の熱交換器建屋まで引いた=東京電力提供

なぜか3号機の南側の建屋だけは津波によって扉が押し破られず、1階にあったポンプやモーター、配電盤は無事だった。このため3号機は冷却に苦心惨たんすることはなかった。なぜ助かったのかはわからない。一方、3号機では海水熱交換器建屋のマンホールから地下に入った海水が地下坑(トレンチ)を通じてタービン建屋の地下に浸入していた。トレンチを仕切る止水壁が3号機だけ弱かったのが原因だと考えられている。

復旧に必要な交換用モーターやケーブル、電源車などは12日には到着した。モーターのひとつは三重県にある東芝の工場から自衛隊のヘリコプターが運んでくれた。

増田尚宏所長らは外部電源が来ている廃棄物処理建屋の電源盤から1、2号機の熱交換器建屋までケーブルを引くことを決めた。このプランに従い、13日はまる一日かけて、東電と協力会社社員約200人が重量のあるケーブルを手作業で約900メートルにわたって引いた。また電源車2台を現場近くに配置し移動用変圧器を介し、各号機の熱交換器建屋に電気を供給する態勢を整えた。生き残った3号機の熱交換器建屋の電源も活用した。

その結果、14日午前1時過ぎには1号機でRHRが稼働、続いて2、4号機でも復旧し、原子炉の除熱が可能になった。こうして福島第2の原子炉は最悪の事態を脱したのだが、福島の緊急事態はまだ始まったばかりだった。

14日午前11時1分に福島第1原発3号機が爆発し、ほどなく福島第2でも空間放射線量が高まった。全員が免震重要棟に避難した。

 「あれは失敗だった」と増田所長が話すことがある。免震棟は約600人がすし詰め状態で異様な雰囲気だった。「こんなときは体を少し動かした方がよいと思い、みなに声をかけ、腕を上げて万歳をさせた」

それしきのことでは動揺は抑えがたかった。東電の各支店から応援に駆けつけていた配電部門の社員は引き揚げを希望した。

「全員撤退はありえない」

「無理に押しとどめることはできない。その結果、一通り引いたケーブルに冗長を持たせる(もう一組引く)作業は福島第2の人間だけでやらねばならなかった。線量が上がるなか、全面マスクとタイベックス(白い防護着)でつらい作業だった」と復旧作業を率いた吉田嘉明・保全部長は言う。

15日朝になると、福島第1から多数の所員や協力企業社員らが退避してきた。

ビジターホールや体育館を収容場所に指定し除染のため水が使えるようにした。看護師を配置しけが人の手当てにあたってもらった。

地上から2メートルほどの高さにある監視カメラの照明ランプには海水がたまっていた

しかし暖房がない体育館で飲料水や食料も十分行き届かず苦情が出た。第2の人々も連日徹夜作業で水や食べ物が行き届いていたわけではない。また福島第1の人が第2の施設内に入り放射線レベル(バックグラウンド)を上げてしまうのも困ると考えていた。「できるだけのことはしたが、感情的には一緒になれなかった」と増田所長は振り返る。

このときのいわゆる「全員撤退問題」について、増田所長は「ありえない。吉田(昌郎・福島第1原発所長、当時)がプラントを捨ててくるとは思わなかった」と話す。必要最小限の人間を残し、第2をバックオフィスとして使い、適宜、第1に派遣して対応する。そうした考えでなかったかと推測する。

福島第2では、免震棟ができる前まで使っていた古い緊急対策室のテレビ会議システムを使えるようにし、第1の免震棟の対策室の控えとして利用可能な状態にした。ただ15日に4号機の爆発などが起きると、福島第1に戻る人も大勢いて、結果的には一時退避で終わった。

その後1年半以上にわたり、増田所長らは所内に寝泊まりし復旧の指揮にあたった。所員の半数以上は事故前から今も福島第2に勤務している。被曝の累積量が多くなった福島第1の所員と交代して第1に移籍した人もいる。また第1の廃炉作業などにあたる「安定化センター」が置かれ、第1の後方基地となっている。

今年4月半ばに、筆者は福島第2を訪れ、増田所長はじめ発電所幹部から話を聞いた。被災した1号機原子炉建屋や海水熱交換器建屋などを見た。

津波の爪痕はまだいたる所に残されていた。熱交換器建屋の1階では高さ2メートルほどにある監視カメラの照明ランプに海水が残されていた。少なくともその高さまで海水に漬かったのは確実だ。つぶれた海水取水口や曲がったままの街路灯などが岸壁近くには残される。

 その一方で、壊れた設備は新品に置き換えられ、冷温停止を維持し続ける能力は整ったという。

政府の緊急安全対策の指示に従い、予備電源としてガスタービン発電機車と電源車を高台に用意、がれき撤去用重機(ショベルカー)や消防車を備えて、東電の所員が使えるよう免許を取得し動かす訓練をしているという。ただ津波を押しとどめる防潮堤はまだ仮設(海抜15.4メートル)だ。想定すべき津波の大きさがまだ決まらず本格的な防潮堤の建設には着手していない。

新品に置き換えられた残留熱除去系のポンプのひとつ

福島第2の経験を記した約360件の「教訓シート」を所員から集め、教訓集の作成を進めている。東電だけでなく他電力にも示して安全性向上の一助にする。

「福島第2はしっかり乗り切ったとの自負がある。それを口に出さず淡々とやってきた」と増田所長は言う。その心持ちは複雑だと察せられる。第2の実績を誇りたい半面、はるかに厳しい状況にあった第1が不当な非難を受けるのも避けたい。

安全支えるプロがどれほどいるか

2つの発電所を比べ、全電源喪失が明暗を分けたのは明らかだ。中央制御室で原子炉の状態を示す計器が読め、所内でケーブルを引けば冷却システム(残留熱除去系)を復旧できた。もし福島第2で外部電源が完全に失われていたらどうなっていたか。1号機を除き、非常用ディーゼル発電機が稼働し全電源喪失はなかったとしても、冷却システムの復旧が遅れていたかもしれない。そう考えると、福島第1が外部電源を失った打撃は大きかったといわざるを得ない。地震による送電系統の破壊と津波による電源盤の損傷の相乗的な影響だ。

また福島第2の4基はいずれも、原発導入初期の運転経験を生かして国産化を進めた沸騰水型軽水炉(BWR)5型と呼ばれるタイプだ。福島第1の1~5号機で採用されていたフラスコ形の格納容器とドーナツ形の圧力抑制室の組み合わせではなく、円すい形、あるいはつりがね形と呼ばれる、大きく一体化された格納容器を持っている。

福島第1の1号機が短時間のうちに炉心溶融を起こし水素爆発を招いたことを思い起こすと、原子炉の設計段階における安全への余裕の大きさが非常時にものをいうことは明らかだ。この点から旧式の原子炉の運転継続に不安を抱く人がいるのは当然だろう。

増田所長はこうも話していた。「廃炉しリプレース(置き換え)する時期を決めるのは、そのプラントをよく知る人間がいなくなったときではないか」。原発の安全を支えるのは設備だけではない。設備を熟知し適切な判断を下せるプロフェッショナルがどれほどいるかが最も大事なことだろう。

なお、福島第2では地震の揺れのため、クレーン作業中の作業員が1人亡くなっている。

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