2019年8月21日(水)

日米外交60年の瞬間 第3部

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吉田首相、再軍備要請に軟化の兆し サンフランシスコへ(8)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/10/8 12:00
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ワシントンで発表されたトルーマンの太平洋防衛構想も、大きな反響を呼ぶニュースだった。モリソン英外相は1951年4月19日午後、下院で「太平洋条約の締結は英連邦の安全のために貢献する。条約は全太平洋地域の民主主義国の死活的利益を保護するものである」と述べた。

■「日本軍国主義の恐怖から解放」とニュージーランド外相

行進する警察予備隊=朝日新聞社提供

行進する警察予備隊=朝日新聞社提供

豪州のスペンダー外相は「トルーマン大統領の声明は太平洋安全保障への道に青信号をともした」と語り、ニュージーランドのドイジ外相は「太平洋における米国の保障は日本軍国主義復活の恐怖からわれわれを開放するだろう」と述べた。ニュージーランド外相の発言に現代日本の読者はどきりとするだろう。

米国にとって太平洋協定、後のANZUS(アンザス)は冷戦を戦う装置だった。東南アジアにも接する国土を持つオーストラリアも、その感覚は共有されていた。アジアに共産主義諸国が生まれつつあったからだ。中国、北朝鮮、北ベトナムなどである。

だが、ニュージーランドは、地図を見ればわかるように脅威への感覚がやや違った。冷戦の感覚が薄かった。1987年にロンギ政権が非核法を成立させ、アンザスから離れ、米国の核の傘を出たのも、これと関連があるのだろう。

地球儀をみると、ニュージーランドの首都ウェリントンは、世界の首都の中で当時のソ連の首都モスクワから最も遠い。当時のニュージーランドの非核政策はこんなふうに地理的理由から説明された。

ニュージーランド外相に影響されたわけではないが、日本の吉田政権は、ダレスの再軍備要求に慎重な態度をとり続けた。

政府筋は18日の吉田・ダレス会談の内容に関する取材に、(1)日本の再軍備の時期、規模などが討議されたことはない(2)再軍備は日本国民の自発的意思と経済力にまつという日米両国の了解は変わっていない――と述べた。

ただし、これだけではダレスが承知しないと吉田は考えたのだろう。同筋によれば、吉田は自衛力確保までの中間措置として、日本みずから国内治安に万全を期すと確約した。警察予備隊、海上保安庁、出入国管理庁などの一元化を指すものとされ、講和前にこれを実現するとされた。

当時は共産勢力による間接侵略という言葉があった。ソ連や中国は日本国内の左翼勢力を使って革命を目指すことを指した。したがって国内治安組織の一元化は、冷戦を戦うひとつの方法だった。少なくとも吉田はそう考え、ダレスに説明したのだろう。ただし一元化は、いまにいたるも実現していない。

■日本も戦場かとリッジウェー示唆

朝鮮戦争という熱戦に加え、冷戦という戦争を戦う米国の占領下にいた当時の日本は、ある意味では戦時下だった。マッカーサーの後任であるリッジウェー最高司令官の動静を伝える報道は、それをうかがわせる。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

日本国内の行動であるのに、UPの従軍記者がこれを伝える。ダレスが東京で会見をした19日、リッジウェーは仙台に飛んだ。仙台に到着して間もない米40師団の閲兵のためである。

リッジウェーはそこで「米国は敵がいつ開始するかわからない戦争の危険に直面している。この戦争がいつ始まるか予測を許さない」と述べた。中国との戦争を念頭に置いているかのようである。また次の発言は仙台が戦場になるかのような響きがある。

「われわれになすべき大きな仕事がある。私はここにひとつのことをはっきりさせたい。それはこの戦争における時の要素の重要性である。どの点からみても事実上諸君は今やここで戦いのなかにある。私はすべての将兵の家族が当地に住むことができることを望んでいる。しかしそうはできないのは、われわれが戦争の差し迫った脅威の下に立ち、しかもこの戦争たるやその時期、場所とも他国民の選択に任されているからである。したがって時の要素は死活的であり、われわれのなさねばならないことは多い」

リッジウェーの懸念を裏付けるような情報が台北から来ていた。台北発AFPによると、中共(ママ)と北朝鮮の当局者は、ソ連極東軍司令官のスミルノフ将軍を交えて瀋陽で会談しており、毛沢東主席も瀋陽にいるとされる。AFPによれば、会談の課題は、朝鮮防衛のために香港、シンガポール、ビルマ、マレーおよびインドシナなどのアジア各地から奪った中国義勇軍の編成問題とされた。

このようななかでの日本に対する再軍備要請だった。米軍当局者の脅威感覚はニュージーランド外相のそれとは大きく違っていた。しかしひょっとすると、吉田の頭のなかにはニューランド外相と似た思いがあったかもしれない。

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