完成度高いミステリー 失踪の謎解き シリアスに - 日本経済新聞
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完成度高いミステリー 失踪の謎解き シリアスに

第4回大賞に長野慶太氏「神様と取り引き」

第4回日経小説大賞(日本経済新聞社・日本経済新聞出版社共催)の最終選考会が行われ、大賞に長野慶太「神様と取り引き」が選ばれた。よく練り上げられたストーリーのほか、構成力や文章力も含めた総合的な作品の完成度が高く評価された。

◇        ◇

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編作品を対象とした第4回日経小説大賞には、200編の応募があった。50~60歳代の応募者が多く、歴史、時代を筆頭に、経済、ミステリー、ファンタジーなど幅広いジャンルの作品が寄せられた。

第1次選考を通過した20編から今回、最終候補作として残ったのは5編。米国の新聞記者が空港内での子供失踪事件の謎を解く長野慶太「神様と取り引き」、戦国時代、徳川家康の身代わりに殺害された人質たちの人間模様をつづった岡島伸吾「青嵐記」、佐伯祐三ら1920年代にパリに渡った画家たちの群像劇、霜康司「ジャポニスム漂泊」、江戸期の浪人侍の生きざまを描いた葉月堅「海江田多聞の決闘」、中国残留孤児の波乱に満ちた人生を物語る村上卓郎「パオモウ(泡沫)」など意欲作が出そろった。

最終選考は7日、辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の3人の選考委員が出席して行われた。まず、各委員が授賞にふさわしい作品を2作以内で推薦。「神様と取り引き」「青嵐記」「海江田多聞の決闘」が挙げられた。その上で5作品について時間をかけて内容を議論し、最終的に全選考委員が「神様と取り引き」への授賞に賛成した。

「リアルでシリアスなミステリー。エンターテインメントの物語として面白い」「構成力とそれを支える知識の幅に才能を感じる」など作品の総合的な完成度を評価する意見が相次いだ。「大衆性のある作家で、次作も面白いものを書けるだろう」との声も上がった。(敬称略)

<あらすじ>
 クリスマスイブの夜、新聞社に匿名の電話が入る。「児童がロサンゼルス空港で誘拐された」。母親が児童から離され身体検査を受けた数分の間に蒸発したという。電話を受けた記者が、テロ対策を強化する最新ターミナルで起こった前例のない事件を追い続けるが、児童は発見されず、捜査当局も手詰まりに。ついには「神隠し」と報じるメディアが出てくる。母親は行政の責任を問う行動に出るが……。米国特有の法制度を背景として、日米両国を舞台に、家族の喪失と再生を描くヒューマンミステリー。

<「神様と取り引き」受賞に寄せて>読んでもらえるだけでも 長野慶太氏

時差の関係上、受賞のご連絡はまず日本の実家に頂きました。電話をとった父は、新聞の勧誘かと勘違いし、無愛想な第一声を発したことを今も悔いています。息子の受賞だとわかると、第二声は電話口で母を大声で呼びつけ、第三声は「嬉(うれ)しいぃぃ!」と地の底が割れるような叫び声。引退後も日経新聞を購読する父には特別な思いがあったのでしょう。母に電話口で「おめでとう!」と言われ、私は不覚にも泣いてしまいました。

田久保英夫先生(故)に師事し、学生時代からずっと小説を書き続けておりました。力不足で長いこと賞に全く縁がありませんでしたが、文芸誌の新人賞を去年頂きました。そして今年は、創設以来投稿を繰り返してきたこの日経小説大賞を頂くことが出来、喜びで言葉もありません。

受賞の言葉を斜めに構えて述べられる人が世間に多くいますが、私の場合はこれ以上はないというほど素直に、ストレートに、ただただ嬉しく、そんな時、胸に上がる感想は感謝しかありません。なぜと言って読まれないものを身の丈以上に書き溜(た)めてきた私にとって、今日、読んで頂くだけでも震えるほど有難(ありがた)いからです。

選んで下さった選考委員の先生方、三度も最終選考に推して下さった事務局の皆様、両親、家族、友人、たくさんの人生の先輩・先生方、そして天国の田久保先生。本当にありがとうございました。日米を舞台にした人間の魂の交流をテーマにますます書いてご恩に報いたいと思います。

<選評>もう一つの失踪 作家・辻原登氏

「神様と取り引き」が群を抜いていた。

主要舞台はロサンゼルス、そしてほんのちょっぴり、大きなレースのカーテンの裾飾りのように、群馬と静岡が顔を覗(のぞ)かせる。

雷雨のロサンゼルス空港は史上空前の大混雑。その巨大空港のセキュリティ・チェックポイント(保安検査場)で、八歳の男の子が忽然(こつぜん)と消えた。迷子でも誘拐でもない。ミッシング。

ストーリーは、このいない少年をめぐって様々な人物が登場し、愛憎のドラマをくり広げてゆく。

まず混雑する大空港の描写が秀逸だ。たくさんの人間が離合集散する駅や空港ターミナルの描写は小説を読むたのしみのひとつだ。これがこの作品の魅力の一番目。謎解き(ミステリー)とシリアスドラマの二つの歯車がうまく噛み合って物語が進行してゆく。この小説の二つめの魅力。これだけあればもう充分だ。

上出来の「ハヤカワ・ポケミス」を読んでいるつもりで、ふとこれが翻訳小説でなく、端から日本語で書かれたものだと気づいて驚く。作者は、子供をミッシングしたが、もう一つのミッシングを作中に巧みに滑り込ませている。多分、それに気づいているのは作者と私だけだ。

<選評>プロの腕前 作家・高樹のぶ子氏

受賞作「神様と取り引き」は空港のセキュリテイ・チェックポイント内、つまり公共の場における密室トリックである。ミステリーの骨格を備えながら、離婚によって引き離された父と子の問題や新聞社内の事情、訴訟社会の裏面などが、アメリカ映画のごとくテンポ良く描き出され、最後に大いなるカタルシスと人間の美質に到る仕上げは、すでにプロの腕前である。大型新人の発見と言って良いだろう。ただ、タイトルは甘ったるく本作の緊張感を伝えていないのが残念。

「青嵐記」は着目が良く、戦国時代の裏面史を描いて面白いが、各章の語り手が同じ口調と文体なので煩雑な印象を受ける。もっと焦点を絞ってはどうだろう。「パオモウ」は中国残留孤児問題を三代にわたる大河ドラマに仕立てているが、出来事のすべてに既視感がつきまとう。「ジャポニスム漂泊」は資料に依存しすぎて作者のオリジナリテイが見えて来ない。「海江田多聞の決闘」は、夕陽のガンマン風の人情話で面白く読めたが、文章が紋切り型で平板な印象を受けた。

<選評>小説の今日性 作家・伊集院静氏

小説という表現で訴えるものは常に現代社会と対峙、共鳴していなくてはならない。歴史小説であっても、今を生きる読者に作者の歴史観が忘れていたものをよみがえらせたり、遠い時代の生き方に共鳴できるものがあってこそ上質な小説と言える。小説が常に新しく変容しなくてはならないのは、今日が常に変容しているからだ。

岡島伸吾氏の「青嵐記」を推したのは人質という代価で一族の信を問うた時代が日本にあり、それが形を変え参勤交代という制度で政権の安定を続けたことをテーマにしていたからである。他委員の賛同は得られなかったが、この作品には小説の骨があった。

受賞作、長野慶太氏の「神様と取り引き」は文章に一番安定感があったし人物描写も活々(いきいき)としていた。表現力に並々ならぬ資質がある。海外に出る度(たび)に国際空港のチェックポイントを通過して感じる奇妙な不安感に題材を得ているのも小説のセンスの良さがうかがえる。四度の挑戦という点も好ましく、受賞にふさわしい新人の登場である。

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