沖縄本土復帰40年、届かなかった建議書
変わらぬ基地、経済の苦悩

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2012/5/5付
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■普天間移設で再浮上

移設問題で揺れる米軍普天間基地(2月27日、沖縄県宜野湾市)

移設問題で揺れる米軍普天間基地(2月27日、沖縄県宜野湾市)

幻の建議書が再び取り上げられたのは、97年11月21日に沖縄県宜野湾市で開いた復帰25周年記念式典だった。大田昌秀知事(当時)は「政府が建議書を真剣に受け止めて、県民の願いを政策に生かしてくれていたら、わが県はもっと違った姿になっていたと思えてならない」と訴えた。

当時の沖縄は激動期だった。95年に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに、沖縄の反基地感情が高まり、日米両政府は米軍普天間基地の返還で合意した。しかし普天間返還に伴う名護市辺野古への代替基地建設に沖縄の不満は高まっていた。25周年式典で、橋本龍太郎首相(当時)は名護市への普天間代替基地建設について「現時点における最善の選択肢」と地元の理解と協力を求めながら、多くの沖縄振興策を約束した。大田の発言が飛び出したのは、その直後だった。「すごく、悲しいな」。橋本は険しい顔でつぶやいた。翌98年、大田は辺野古移設を拒否した。

その後、稲嶺恵一、仲井真弘多と辺野古移設を容認する知事が誕生したが、周辺住民らの反対で移設作業は難航。2009年に誕生した民主党政権で、「最低でも県外(移設)」(鳩山由紀夫元首相)の公約にもかかわらず、辺野古に逆戻りしたことに県民は猛反発して、普天間問題は完全に暗礁に乗り上げた。

沖縄復帰40年の歩み
1972年5月沖縄が本土復帰。屋良朝苗氏が初代知事に
75年7月沖縄国際海洋博覧会開幕
78年10月平良幸市知事が病気辞任
12月知事選で保守系の西銘順治氏が当選
87年9月沖縄海邦国体
90年11月知事選で革新系の大田昌秀氏が当選
95年9月米兵による少女暴行事件
96年4月日米両政府が普天間基地返還で合意
97年12月名護市民投票で代替基地建設反対が過半数
98年2月大田知事が代替基地受け入れを拒否
11月知事選で移設容認派の稲嶺恵一氏が当選
99年12月名護市辺野古への移設を閣議決定
2000年7月沖縄サミット
04年8月米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落
06年11月知事選で移設容認派の仲井真弘多氏が当選
09年8月総選挙で民主党が大勝
10年1月名護市長選で移設反対の稲嶺進氏が当選
10年5月日米両政府が辺野古回帰を明記した共同声明
10年11月仲井真知事が「県内移設反対」に転じて再選

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