2018年7月19日(木)

沖縄本土復帰40年、届かなかった建議書
変わらぬ基地、経済の苦悩

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2012/5/5付
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 沖縄は5月15日、本土復帰から40年を迎える。復帰の半年前、米軍基地が固定化されたままの復帰を危惧した当時の琉球政府は、県民が望む復帰の姿を訴えようと、ひとつの文書をまとめた。132ページにわたる「復帰措置に関する建議書」だ。しかし建議書は政府や国会に渡る前に、沖縄返還協定が強行採決され、沖縄の願いは届かなかった。建議書が取り上げた米軍基地の重圧、脆弱な地場経済などの課題は今も解決していない。

■提出前に協定強行採決

建議書を携え上京した元琉球政府行政主席の屋良朝苗氏=共同

建議書を携え上京した元琉球政府行政主席の屋良朝苗氏=共同

 建議書は1971年秋、沖縄不在のまま日米間の返還交渉が進んでいることを危ぶんだ琉球政府が職員や学識経験者を動員して、復帰にあたっての基地や振興開発のあり方をはじめ、幅広い県民の要望をまとめたものだ。屋良朝苗行政主席(後に初代知事)は11月17日、建議書を携えて上京した。だが羽田空港に降り立ったころ、衆院特別委員会で沖縄返還協定は強行採決された。

 屋良は回想録「激動八年」(沖縄タイムス社)で、協定の強行採決を宿泊するホテルに待ち構えていた報道陣から聞かされ、「茫然(ぼうぜん)自失――失望と混乱の状態で私は逃げるように部屋に入り、懸命に思考をまとめた」と記している。その後、落ち着きを取り戻して記者会見し、「沖縄の最後の訴えも聞かず強硬手段をとったのは言語道断。県民の不満が爆発するのではないかとおそれている」と抗議した。

▼「県民は(中略)基地のない平和な島としての復帰を強く望んでおります」(建議書3ページ)

 建議書の「基地のない平和な島」は、復帰後も沖縄の悲願として生き続けている。しかし沖縄には今も在日米軍専用基地の74%が集中し、沖縄本島の面積の18%を占めている。基地による騒音・環境被害や、米軍人・軍属による事件・事故も後を絶たない。

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