2019年1月21日(月)

スペシャル

フォローする

チェコ元体操五輪選手、苦悩の時代も貫いた信念
チャスラフスカさんにインタビュー

(3/4ページ)
2013/8/21 7:00
共有
印刷
その他

メキシコ五輪開催の68年、民主化を求めてチェコスロバキア市民が立ち上がった「プラハの春」を旧ソ連軍などが軍事力で制圧した。民主化支持の姿勢を一貫して変えなかったチャスラフスカさんはその後、政治的に抑圧されスポーツ界からも追放された。満足な仕事にもつけず、「子育てに専念するしかなかった」という。再び表舞台に戻るには、20年を経た89年の「ビロード革命」まで待たなければならなかった。

89年にチェコスロバキアで起きたビロード革命。この後、チャスラフスカさんは再び表舞台に戻ることができた

89年にチェコスロバキアで起きたビロード革命。この後、チャスラフスカさんは再び表舞台に戻ることができた

「民主化支持の気持ち変わらず」

――東京、メキシコと活躍しましたが、その後は苦しい生活が続きましたね。

「68年のプラハの春で、民主化を求める『二千語宣言』」に署名した。ところが旧ソ連軍などの介入で挫折し、『反革命』と非難された。民主化を支持する気持ちは変わらなかったから、主張を変えなかった。そして89年のビロード革命。信念を貫いたのは間違っていなかったと、感無量だった」

「心が折れなかったのは東京五輪がきっかけの一つです。帰国直前にある人から、大事にしていた家宝の日本刀を贈られました。日本刀を見るたびに、贈り主の気持ちに応えなければと思い、耐える力をもらいました」

革命後、チャスラフスカさんはハベル大統領の顧問に就き、スポーツや社会福祉などを担当。表舞台に戻る。それもつかの間、03年には息子マルティン氏が、離婚した元夫を死に至らしめる不幸な事件が起きる。

それを機に、精神と身体を病み、療養生活に入った。この間の事情をチャスラフスカさんは「苦しい時期だった」としか語らない。療養生活は09年ごろに終わり、再び元気な姿を見せるようになったのはここ数年のことだ。今はチェコ五輪委員会名誉会長などの要職にも就いている。

東日本大震災後、日本を訪問

――チェコ日本友好協会の名誉会長として両国の交流にも携わっていますね。

「東日本大震災後の11年10月、ほぼ20年ぶりに日本を訪問しました。被災地を目の当たりにしショックでした。チェコでチャリティーコンサートを開き、翌年夏には避難所生活を続けていた福島県の子供たちを招待しました。チェコの子供たちも集めて陸上、体操、球技などのミニ五輪を開いたのです。優勝した日本の子供を見て、東京五輪で活躍した遠藤幸雄選手を懐かしく思い出しました」

  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 次へ

日経電子版が2月末まで無料!いつでもキャンセルOK!
お申し込みは1/31まで

共有
印刷
その他

電子版トップスポーツトップ

スペシャル 一覧

フォローする
錦織は対戦相手について「想像よりも強かった。ほぼ負けていた」=共同共同

 テニスの全豪オープン第2日は15日、メルボルンで行われ、男子シングルス1回戦で第8シードの錦織圭(日清食品)は予選を勝ち上がった世界ランキング176位のカミル・マイクシャク(ポーランド)と対戦し、3 …続き (1/15)

マリーは11日の記者会見で、涙ぐみながらけがの状態について語った=APAP

 テニスの四大大会第1戦、全豪オープン開幕が3日後に迫った11日、メルボルンの会場に衝撃が走った。元世界ランキング1位のアンディ・マリー(31、英国)が長引く臀部(でんぶ)の痛みを理由に引退を示唆した …続き (1/14)

ゴンザガ大は12月5日、ワシントン大戦を八村の決勝シュートでものにした=USA TODAYUSA TODAY

 米ハワイ州マウイ島での奇跡から2週間後、バスケットボール男子の全米大学体育協会(NCAA)1部、ゴンザガ大があるワシントン州スポケーンを訪れた。 …続き (1/8)

ハイライト・スポーツ

[PR]