2019年1月24日(木)

絹から生まれた川俣シャモ(震災取材ブログ)
@福島・川俣

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2013/3/7 7:00
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地鶏の「川俣シャモ」は福島を代表する地域ブランドの成功例として知られる。福島県川俣町が1980年代に品種改良で作り上げ、東京・人形町の鶏料理の名店「玉ひで」なども使っている。その川俣町も東京電力の福島第1原子力発電所の事故で、一部が避難区域に指定されるなどの被害を受けた。川俣シャモの今を訪ねてみた。

川俣町農業振興公社専務の斎藤正博さん

川俣町農業振興公社専務の斎藤正博さん

川俣シャモの生産を管理しているのは、同町の第三セクターである川俣町農業振興公社。ヒナを振興公社の子会社で生産し、契約農家がヒナを育てる。町外れにある廃校舎を利用した振興公社の社屋を訪れると、専務の斎藤正博さんが出迎えてくれた。

「最近はようやく顧客が戻ってきてくれました」と斎藤さん。風評被害で2011年度は売上高が例年の8割程度に落ち込んだが、次第に大口の注文も入るようになってきた。フランスやオランダなどの大使公邸からも引き合いがあるという。

もっとも町内には原発事故の爪痕も色濃く残る。振興公社の社屋から車で十数分も走れば、計画的避難区域に指定された町南部の「山木屋地区」だ。郵便局や店舗のシャッターは閉まったままで、人の気配はまるで感じられない。シャモの契約農家は震災前に17軒あったが、1軒がこの山木屋地区にあったため廃業を余儀なくされている。

そもそも、どうして川俣はシャモで有名になったのだろう。川俣はかつて絹織物で栄えた地域で、裕福な人々の間で闘鶏用としてシャモが飼われていた。ただシャモは本来は食用ではない。人間で言えばアスリートのように肉が硬く、食べてもあまりおいしくないのだという。

食用の川俣シャモが生まれたのは1983年、当時の町長が「遠方からのお客さんに何か気の利いたごちそうを」と考えたのがきっかけだった。最初は純系のシャモと地鶏を一対一で掛け合わせたが、まだ肉が硬くてあまり売れなかった。98年に4分の3が地鶏で残りがシャモという現在の改良種が生まれ、ジューシーで適度な歯ごたえから人気に火が付いた。

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