2019年6月20日(木)

角野8位「スノボをメジャーに」 決意の大ジャンプ

2014/2/8 21:09
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惜しかったけど、よくやった――。ソチ五輪から新種目となったスノーボードスロープスタイルに8日登場した角野友基選手(17)。今大会初の決勝種目でメダルには届かなかったが8位入賞を果たした。同選手の地元の兵庫県三木市で応援した親族や市民からは「ありがとう」の声が上がった。

8位に入賞した角野選手(8日、ソチ)=写真 柏原敬樹

三木市役所ホールには約250人が集まり、大画面スクリーンを見ながら応援。祈るように試合を見守っていた祖母の広田英子さん(61)は「十分楽しい滑りをしてくれた。帰ってきたらおいしいごはんを食べさせてあげたい」と話した。

茶色に染めた長髪をなびかせる角野選手。「五輪も他の大会と一緒。意識しない」とクールな発言を五輪前もしてきた。だが、公私両面で面倒を見てきたマネジメント会社社長の吉田宏さん(51)は「本心でなかったはず」と推し量る。

「五輪で勝つのは自分のためだけじゃない。憧れの存在になれば取り組む子供も増える」。強い決意を吉田さんには語っていたという。

父親の影響で8歳でスノボを始めた角野選手。欧米に比べスポーツとしての知名度が低いスノボを「メジャー競技にしたい」との願いを、人一倍持ち続けてきた。いじめに遭っていた小中学校時代、多くの仲間との出会いに導いてくれたのがスノボだったからだ。

兵庫県三木市の自宅から練習場に1時間以上もかけて往復。大会当日の練習で転倒して頭や胸を強打して救急車で運ばれたこともある。だが「とにかくスノボが好きで、『練習が嫌』とか『辞めたい』と言ったことはない」と吉田さんは話す。

吉田さんにも角野選手に託す思いがあった。育った岩手県ではスキー場が来客減で相次ぎ閉鎖。「スターを生み出して食い止めたい」。そんな危機感から選手の発掘や育成に取り組んできた。

2008年、角野選手は吉田さんが開いたボーダー発掘の選考会で見事に技を決めた。約20年間で「最高の逸材だった」(吉田さん)。出会いから6年後、吉田さんの思いも乗せ、五輪の大舞台で大ジャンプを決めた。

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