特集「大震災 再生へ」内の記事のうち、福島原発事故関連の記事は特集「福島原発 遠い収束」に、被災地の復興に向けた記事は特集「震災復興」にそれぞれ移転しました。

農業復活へ確かな息吹(震災取材ブログ)
@宮城・山元

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2013/9/6 7:00
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仙台から電車と代行バスを乗り継ぎ、1時間ほど。宮城県南部の山元町は東日本大震災の前、イチゴの露地栽培で知られた町だった。しかし、この地を襲った津波は沿岸地域の農地に大きな打撃を与え、塩害もあって今なお生産を再開できない農家も少なくない。こうした中、苗を土に植える従来の露地栽培ではなく、IT(情報技術)を活用し、養液を使った大規模なハウス栽培で産地の復活をめざす試みが動き始めている。7月後半に現地を訪ねてみて、産地復活に向けた確かな息吹を感じた。

イチゴ産地の復興をめざすGRAの岩佐さん(宮城県山元町)

イチゴ産地の復興をめざすGRAの岩佐さん(宮城県山元町)

旗振り役となっているのは農業生産法人GRA(宮城県山元町)の代表取締役最高経営責任者(CEO)を務める岩佐大輝さん(36)だ。岩佐さんは山元町の出身で、震災まで農業とは全く関係のない世界で暮らしていた。東京でITベンチャーを起業し、企業向けにITシステムの設計や導入、運用保守などを手がける事業を展開していた。

だが、震災が岩佐さんにとっての転機となる。直後から伝えられる郷里の惨状を目の当たりにし、「何とかしなければ」と思った岩佐さんは自ら持つノウハウを生かし、当初、インターネット上で安否確認のシステムを構築。その後、月に数回のペースで被災地にボランティアにおもむくようになった。頻繁に地元に通ううちに、岩佐さんは農業被害の大きさに心を痛める。山元町には130軒近くのイチゴ農家があり、出荷額も約13億円あったが、その農地の95%が津波に遭い、生産再開のメドが立たない状況に置かれていたのだ。

「イチゴ生産が再開しなければ、郷里の復興はない」「だが、従来の栽培方式や流通方式をとっていては限界がある」。そう現状を分析した岩佐さん。「農業外にいる自分が農業に経営感覚を持ち込み、大規模なシステム園芸を展開するしかない」と思い至る。「故郷を再生したい」という思いが第2の起業に踏み切らせたのだ。2012年1月、GRAを設立。生産のノウハウを全く持ち合わせないため、長年、地元でイチゴ生産を手がけてきた橋元忠嗣氏を口説いて副社長に招くなどして態勢を整えた。

それから1年半余り。大規模なハウスでイチゴなどを栽培する同社は地元で知らない人がいない存在になった。イチゴのハウスは1.1ヘクタール。栽培・収穫時の負担を減らすために棚を設ける「高設栽培」方式を導入したほか、空調や温度、日射量、養液供給などの栽培管理をすべてコンピューター制御する。12月から5月は「とちおとめ」など、7月から11月は「なつあかり」「UCアルビオン」といった品種を扱い、ほぼ通年で稼働・供給できる態勢を整えている。

トマトの生産も手がけ、広さ2000平方メートルの圃場では種まきから苗の定植(植え付け)、育成、収穫の時期をコントロールし、年間6回収穫・出荷する。12年1年間だけで5億円以上を投資したが、人員や機器、施設の稼働率を高め、収益率を高める仕組みを採用している。農林水産省や研究機関と連携し、農産物の高品質化と、収益を最大にするための最適な生産法を探ることにも力を入れている。

イチゴについては早くもマーケットから注目を集めている。昨年は合計20トンを出荷したが、とりわけ「ミガキイチゴ」と名付けた大ぶりで糖度の高い最高級品は伊勢丹(東京)や藤崎(仙台市)といった百貨店で大きな話題を呼んだ。値段は1粒1000円だが、糖度は15度ほどあり、今後も百貨店やインターネット通販を中心に販売する。「山元イチゴ」を象徴するブランドとして育てる考えだ。

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