町の玄関口がなくなっていた。福島県と接する宮城県山元町を約1年ぶりに訪れたところ、JR常磐線山下駅の駅舎の解体工事が終わって1カ月以上が経過したと住民から聞いた。雑草が伸び放題の線路とホームが残されていることで、そこに駅があったことが分かるが、駅舎や改札口があった場所はコンクリートしか残っていなかった。
2年前、大津波は海岸線から1キロメートルあまり離れた山下駅を襲った。周辺の常磐線は現在も浜吉田(宮城県亘理町)―相馬(福島県相馬市)間が不通。JR東日本が新しい山下駅を内陸側に約1キロ移設する計画を公表しているため、いずれ駅舎がなくなるのは住民も分かっていた。
だが解体工事のお知らせは突然だった。1月上旬、駅付近の住宅にタオルを持参した解体業者が訪れ「1月15日からご迷惑をおかけします」。住民によると、JR東日本や町による住民への個別説明はなかった。解体工事が始まる前、有志の住民やボランティアが「これまでありがとう」などと感謝のメッセージを書くボードを駅前に設置して、駅舎との別れを惜しんだという。
駅前で日用品や食料品を販売する店を営む橋元伸一さん(52)は「もう少し住民の気持ちを考えてほしかった」と残念がる。
山下駅は1949年の開業。2010年度の1日の乗降客数は約1700人で、仙台駅まで約40分で結んでいた。橋元さんの店は祖父が駅開業直後の50年ごろに開いた。当時、駅周辺には家屋が数軒しかなかったが、仙台市中心部まで近いことや温暖な気候が人気で徐々に住宅が増えて駅を中心としたコミュニティーが形成され、街は発展した。店舗裏の自宅で生まれ育った橋元さんが最も危惧するのは、駅の消滅により地域の文化やつながりが失われていくことだという。