夏はカブトムシの季節 家庭飼育は日本独自の文化

夏はカブトムシの季節。全国各地で週末を中心に、観察会やカブトムシ相撲などの行事が催されている。
かつてはスイカ 今はゼリーが餌に
各種の本や図鑑をみれば、カブトムシは「樹液に集まる」とある。樹液とは、木々の幹から流れ出す汁のこと。コウモリガやカミキリムシの仲間によって傷つけられた場所から、本来は根から吸い上げられて木々の枝葉に行き渡るはずだった水分が流れ出し、時にそれらは発酵して、多くの虫たちにとって重要な餌となる。
クヌギやコナラ、ヤナギ類などの樹液には、カブトムシやクワガタムシをはじめ、カナブン、ルリタテハ、オオムラサキなど各種の昆虫が集まる。そして、それらを狙って子供たちも集まる。雑木林には、樹液の出る木を結ぶように草を踏み分けた道ができる。
ホームセンターばかりでなく、スーパーマーケットにも、夏になればカブトムシ用の飼育ケースや虫かご、虫捕り網などが並ぶ。カブトムシを、同好者ばかりでなく、広く大衆が飼うという文化はほぼ日本独自のものだ。店先に虫捕り網や虫かごがある光景も、書店に必ず昆虫図鑑が並んでいる場面も、日本では子供たちへの需要があるからであって、海外ではまずお目にかかれない。
ところで、カブトムシは野外では樹液に集まるとして、もし飼育する際に「何を食べるか」と尋ねられたら、あなたはどのように答えるだろう。

かつては、カブトムシの餌といえば、スイカなどの果物の皮やへたと相場が決まっていた。スイカは皮の内側に赤い部分を少し残して食べるが、それを水槽に入れておくと、かじりついたカブトムシはそこから離れず、翌朝までにすっかり真っ白になっている。だから、子供がスイカの白い部分までかじっていると、「カブトムシみたいなまねはみっともない」とたしなめられたものだ。
ところが、今では昆虫用のゼリーがすっかり普及し、「カブトムシはゼリーを食べる」という時代になった。それによって、水槽に小バエが集まることもめっきり減った。かつてはカブトムシの水槽は勝手口などに置かれたものだが、今ではきれいに掃除された室内に遇されることで、小バエの存在も気になる時代になったのは確かだ。

スイカのへたからゼリーへ――。それは、飼い犬の餌が残飯からドッグフードに変わったことと軌を一にしており、カブトムシを飼う文化が住宅や生活習慣の近代化の中で、新しい形へと変化したことを象徴しているのではなかろうか。
メスに出会うまでは死ぬに死ねず
大きな水槽の中で、雌雄数匹ずつを一緒に飼育していたならば、カブトムシはしっかり子孫を残し、メスが底に敷いた飼育マット(これもかつては腐葉土と呼んだのだが……)の中に産卵していることが多い。卵はほどなくふ化して、秋のうちにはある程度の大きさに成長し、幼虫は寒い冬にも気温の変化が少ない土の中で、休眠して過ごす。四季の明確な温帯に暮らす昆虫は長い進化の歴史の中で、熱帯の種類が持たない「冬越し」という方法を身に付けてきた。
余談になるが、大切に育てていたカブトムシが年明けまで生きたという話題を耳にすることがある。クワガタムシの場合は種によって、数年生きるものもあるのだが、カブトムシは年1回の発生で、成虫の寿命は長くとも2カ月に満たない。夏の終わりに産卵された卵は10カ月以上をかけて、翌年の夏に成虫になる。多くの昆虫に当てはまることだが、交尾を何度も済ませれば、すぐに寿命を迎え、逆に、いつまでもメスに出会えなければ、寿命は長くなる傾向がある。虫の側からみれば、餌はあるので長生きするけれども、本望を遂げるまでは死ぬわけにはいかない、というところか。
ペットとして見た場合には、長生きするに越したことはないけれども、自然界に生きる昆虫は子孫を残して数カ月で死んでゆくのが「自然」。カブトムシは野生生物であるがゆえに、探し、捕まえる楽しさがある。それはともかく、近代化によって多くの伝統文化が失われた中にあって、虫を飼育して愛(め)でる文化が変わらずに存続していることは、何にも増して喜ばしいことだ。
(自然写真家 永幡嘉之)
※「生きものがたり」では日本経済新聞土曜夕刊の連載「野のしらべ」(社会面)と連動し、様々な生きものの四季折々の表情や人の暮らしとのかかわりを紹介します。