万葉集に登場「幻の池」か 奈良で6世紀のダム遺構 - 日本経済新聞
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万葉集に登場「幻の池」か 奈良で6世紀のダム遺構

大型建物跡、用明天皇と関連指摘も

6世紀に築造されたダム式ため池の堤の遺構が奈良県橿原市で見つかったと同市教育委員会が15日、発表した。これまで日本最古とされていた狭山池(大阪府大阪狭山市、7世紀前半)より古く最古のダム遺構となる。日本書紀や万葉集にその記録があるものの、所在地が不明で幻の池ともいわれた「磐余池(いわれいけ)」跡との説が有力だ。

古代の土木技術を知る貴重な史料であるとともに、謎の多い古墳時代の飛鳥周辺の様子を探る上で注目を集めそうだ。

遺構が見つかったのは天香久山の北東1.1キロ。小丘陵を発掘したところ、粘土などを積み重ねて堤を造成した跡を長さ80メートルにわたって見つけた。

堤の規模は推定で全長330メートル、幅20~55メートル、高さ3メートル以上。谷を塞いで川の水をせき止め、南北600メートル、東西700メートルに及ぶ広大な池を造ったとみられる。

堤の上では大型建物跡(東西約4メートル、南北17メートル以上)や、朝鮮半島から伝わった技法を用いた建物跡などを発見。柱穴から6世紀の土器が出土しており、堤はそのころに造られたとみられる。

市教委は「池には鑑賞や遊宴、灌漑(かんがい)などの役割があった」と推察。造成には渡来系氏族が関わった可能性がある、としている。

大型建物跡については聖徳太子の父、用明天皇(6世紀)が池のほとりに建てた「池辺双槻宮(いけべのなみつきのみや)」との関連を指摘する見方も出ている。

調査地一帯はかつて磐余と呼ばれ、履中天皇や継体天皇が宮殿を置いたとされる。日本書紀などには「磐余池」を造成したり「磐余市磯池(いちしのいけ)」に船を浮かべて遊宴したりした記録が残る。

7世紀、謀反の疑いで刑死した大津皇子の「ももづたふ磐余池に 鳴く鴨を今日のみ見てや 雲隠りなむ(磐余池で鳴く鴨を見るのも今日限りだなあ 私は死んでいくのだ)」との辞世の歌にも詠まれ、万葉集に収録されている。

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