東京電力は12日、福島第1原子力発電所を事故後初めて報道陣に公開した。発電所の敷地内には崩れた建屋やがれきが残り、石積みの仮設堤防は頼りない姿をさらしていた。放射線量が高い場所もまだ多い。事故後8カ月たっても復旧作業は一進一退が続く。
報道陣は国内外の新聞・通信社、放送局の計36人。事故収束作業を視察した細野豪志原発事故担当相の視察に同行し、バスの中から取材した。
午前9時から作業拠点「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町・広野町)で使い捨て防護服に着替えた。綿の手袋やゴム手袋、靴には2重のビニール袋。顔を覆う全面マスクは呼吸しづらい。午前10時にバス2台で出発。原発までは約40分だ。
原発正門は防護服姿での警備がものものしい。線量計の値は毎時15マイクロ(マイクロは100万分の1)シーベルト。奇妙な静けさが不気味だ。敷地内の「ふれあい交差点」を右折した先に日米仏の国旗を掲げた汚染水処理施設。線量は同100マイクロシーベルトに上がった。
カーブを曲がり、水素爆発で崩れた4号機が目に飛び込んできた。コンクリートの外壁が鉄骨にかろうじてぶら下がる。3号機は5階建ての建屋上部が完全に崩壊。今も崩れ続けており「震災直後より激しい」(東電福島第1安定化センターの山下和彦部長)。
所狭しと並ぶタンクには、処理した汚染水などが入る。汚染水の処理後に出る汚泥や吸着材の保管用建屋も建設中だった。20人ほどの作業員を見かけたが、敷地内の人影はまばらだ。