父の「遺言」胸に25年 日航機墜落直前「幸せだった」

2010/8/10付
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1985年の日航ジャンボ機墜落事故で「本当に幸せな人生だった」と家族あてに感謝の遺書を記していた乗客、河口博次さん(当時52)の長女、真理子さん(49)が取材に応じ、「遺書があったおかげで、不慮の死が理解できたのかもしれない。父の年齢に近づいた今、私にあんなことが書けるかと思う」と、惨事から25年となる心情を語った。

墜落直前の日航ジャンボ機内で、52歳の父は別れの言葉を残してくれた。会社の手帳7ページにわたりボールペンで刻まれた219文字。真理子さんは25年後の今、あらためて読み返す。「52での死は、やっぱり早い」。亡き父の年に近くなった自らを重ね合わせた。

すごくきれいな夕焼けだった。1985年8月12日。大学院生で就職活動の帰りに電車の窓から見えた西の空。そのかなたで事故が起きるなんて、想像もできなかった。

船舶会社の支店長として神戸に単身赴任していた父。週末を神奈川県藤沢市の自宅で過ごし、神戸に戻る途中だった。墜落のニュースを伝えるテレビに名前が映り、胸の中で時間が止まった。

5日後、遺体を確認。背広のポケットに入っていた黒革の手帳を弟の津慶さん(46)が見つけた。乱れた筆跡、次のページに写るほどの強い筆圧。

河口博次さんの遺書。娘の真理子さんの目線の先には「神様たすけて下さい」など懸命に刻まれた文字があった

河口博次さんの遺書。娘の真理子さんの目線の先には「神様たすけて下さい」など懸命に刻まれた文字があった

真理子さんは今、思う。飛行機が大好きで、神頼みなんかするような人じゃなかったのに。それでも最後は死を受け入れたんだ。死に目には会えなかったけど、あのメッセージがあったから、わたしは心の整理をつけられたのかもしれない。この年になっていきなり死ぬとき、幸せな人生だったって、自分は書けるかどうか……。

現在、金融関係の会社で企業の社会的責任(CSR)を研究する部署に勤める。長男(9)は父に似て乗り物好き。最近手帳をきちんと見せ、おじいちゃんの死を初めて詳しく説明した。

事故からしばらくは乗れなかった日航にも、いつの間にか乗るようになった。人間が空を飛ぶのは奇跡的なことなのだから、謙虚になろうと自らに言い聞かせて。

手帳は母、慶子さん(76)が自宅で大切に保管している。遺言はコピーが2006年から日航の安全啓発センターに展示された。秋には家族みんなで墜落現場の御巣鷹の尾根(群馬県上野村)に登り、父の墓標を建て替える予定だ。〔共同〕

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