繊維交渉決裂、米が「失望と懸念」 71年の外交文書
ニクソン大統領、佐藤首相に異例の書簡
日本の繊維製品の対米輸出規制を話し合う日米繊維交渉が決裂した1971年春、ニクソン米大統領が佐藤栄作首相に「失望と懸念を隠すことができない」と、強く非難する異例の書簡を送っていた。24日公開の外交文書で明らかになった。

書簡については「佐藤栄作日記」に記述があるほか、米側で英文が開示されており、存在が知られていたが、日本政府が公開したのは初めて。他の公開文書と合わせ、繊維問題が首脳間でこじれ、日米関係が「戦後最悪」(信夫隆司日大教授)のレベルに陥っていく史実が浮かび上がった。
71年7~8月の米中接近、ドルと金の交換停止という2つの「ニクソン・ショック」の際、日本政府は米側から事前通告がなく大混乱した。書簡にある大統領の首相への根深い不信感が、2つのショックがもたらす日米外交危機の引き金になったとみられる。
書簡は71年3月12日付。和訳文が手書きで3ページにわたり記されていた。直前の8日には日本の業界団体が、米側要求とかけ離れた、日本側に有利な繊維製品の輸出自主規制を発表していた。
大統領は書簡で、この発表やこれを歓迎した日本政府の声明に触れ「本当に驚いた」と言明。「双方が満足できるような交渉を続けることが望ましいが、不可能と思われる」と交渉打ち切りを通告、輸入制限立法の必要性に触れた。「こうした方法であなたに手紙を書くことになったことを、深く遺憾とする」とも記し、憤りをにじませた。
他の公開文書によると、愛知揆一外相はマイヤー駐日米大使と同月10日に会談し、業界団体の自主規制策定に「政府は全然関与しておらず、背後で何かたくらんだことはない」と釈明。首相も大使と会い「(大統領の)期待に沿えなかったのは残念」と述べていた。
このころ、首相が最も重視した沖縄返還協定は71年6月までに調印される運びとなっていた。しかし繊維問題の泥沼化を受け、マイヤー大使は「沖縄問題へのはね返りも心配している」と日本側に忠告した。〔共同〕