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守り抜いた零戦の技術 三菱重、自動車部品で復活

三菱重工業が戦前の航空機の製造技術を最新の技法で現代の自動車部品によみがえらせた。エンジンの軽量化や燃料効率向上につながる傘中空エンジンバルブの加工技術だ。実現には焼却処分を避けて技術を次代に引き継ごうとした戦中の技術者と、現代の技術で磨き上げた昭和と平成の鍛造技術者の姿があった。

技術資料、終戦で廃棄の危機

「各社の反応は非常にいい。量産時期を前倒しする必要があるかもしれない」――。1月下旬に英独仏の大手自動車メーカーを訪問した工作機械事業本部(滋賀県栗東市)の工作部エンジンバルブ工作課傘中空チームの森井宏和主席技師は傘中空バルブの評価に手応えを感じていた。

絞り加工と穴開け加工を組み合わせる傘中空バルブはまず金属の棒の端をプレスし、出っ張ったバルブの頭を作る。その後、軸の部分に穴を開け、少しずつ冷間鍛造しながら細く絞っていく。バルブの傘の内部も空洞が広がる「傘中空」エンジンバルブができる。

軸に加え傘の部分も中空で従来より10~20%軽い。エンジン内部の高温を逃がす機能も高い。棒の部分だけドリルで穴を開ける「中空」バルブより空洞部分が大きく、熱をよく伝えるナトリウムを傘の中にも充填するため、エンジンブロック内部の高温を早く外に逃がせるためだ。

この技術は戦前・戦中に名古屋製作所大幸工場や、京都工場が軍用機のエンジンバルブ生産に活用した。当初の国産バルブは破損することが多く、欧州から設計図面を入手し工法を改良した。当時は量産最優先で、熱間鍛造を中心に600工程に及ぶ加工を人海戦術でこなした。月に8万本のバルブをなんと5000人の工員が造っていたという。

この加工技術の要領を詳細に記した技術資料は、終戦で廃棄の危機にさらされる。しかし、当時大学出の京都工場の若手技術者が個人的に「軍需関係の資料は焼却処分になるからどこかに隠した」。1966年に再び会社に戻し保管されていた。時はたち、森井氏はある時その資料を「こういう技術を我々は持っていた。いつか使え」と渡された。

「一体成型でつくらないと意味ない」

しかし、1本数百円、絶え間ないコストダウンを迫られる量産車の部品で同じ方法は使えない。この技術を活用しようという試みは「鍛造で変形させる量が大きすぎ」、平成になるまで何度も失敗していた。

2007年に「エンジンバルブで新しい付加価値を創ろう」と始まったプロジェクト。森井氏は栗東で技術部門を統括していた樹神幸夫現取締役執行役員から「他社と同じではだめだ。溶接でつなぎ合わせるのではなく一体成型でつくらないと三菱重工がやる意味はない」とはっぱをかけられた。

社の内外に話を持っていくが、至る所で「この技術で量産するのは絶対無理だ」とさじを投げられた。そこに別件で吉村豹治氏が訪れた。

08年2月に森井氏は「傘中空の技術で自動車用エンジンバルブを量産できないか考えてほしい」と吉村氏に逆提案、94ページに上る戦前の図面の青焼き資料を見せた。4月から開発がスタートした。

吉村氏は名古屋の大幸工場に1957年に配属され、以来鍛造一筋。閉塞鍛造などの新技術を次々と開発した。86年に大幸工場が閉鎖されると重工を離れ、その後金型メーカーで役員になる。そこでも鍛造技術を研究し続けた。

青焼き資料にはどういうメーカーの製造装置を使うか、砥石の種類や粒径など傘中空バルブをつくるための詳細な作業指示がイラストを交えてびっしり書いてあった。

吉村氏が発案したのは耐熱性の高い高強度の合金を冷間鍛造する発想。「10以上の工法を考えたが、一つ目が当たった。コロンブスの卵のようなもの」という。森井氏は「車が空を飛ぶようなもの。無から有を生み出す吉村さんの発想はすごい」と舌を巻く。

設計・ものづくり現場一体で実現

ただ、中空の棒を細く延ばしていく絞り加工が極めて難しい。うまくやらないと細い軸がつぶれてしまう。何回に分けて何トンの力をかけるか、変化させる金型の形など中小加工メーカーの協力を得て試行錯誤を繰り返した。

同社は今回、あらかじめ穴を開けてから絞り加工することで、精度が高い傘中空バルブを短時間で量産する技術を確立した。日本企業に加え、欧州の自動車メーカーにも新技術で攻勢をかける。

過去から学ぶべきは個別の技術だけではない。同社のものづくり技術部によると戦前・戦中の名古屋航空機製作所では零戦や重爆撃機などの製造段階で予想される不具合をあらかじめ設計に反映させ、開発期間を短くするコンカレント・エンジニアリング(CE)やフロント・ローディング(FR)の概念がすでに根付いていた。

当然コンピューターのない時代。平成の製造業が3次元(3D)CAD(コンピューターによる設計)や3Dプリンターを駆使して行う試みを「圧倒的な短納期を求められる戦時の要請から設計とものづくりの現場が一体となって実現した」という。みんなが大部屋に集まって議論する、まさに映画「風立ちぬ」の世界だ。

愛知県小牧市のミサイルや航空機のエンジンを製造する名古屋誘導推進システム製作所のギャラリーには、戦中の軍用機のエンジンや傘中空バルブやエンジンが展示されている。堤征一・名誘ギャラリー長も大幸工場で長く働いた。「整備士などが使うエンジンの透視図は手書きだが、CGと見間違えるほど精巧。当時のものづくりのレベルの高さが分かる」という。

ただ、伝承は容易ではなかった。名古屋航空宇宙システム製作所の資料室には零戦などの傍らに終戦で航空機生産が禁止になり「従業員の糊口(ここう)をしのぐためにつくった鍋やパン焼き器」が展示されている。売り上げの確保だけでなく「技術者を離散させないための方策」(総務統括部の伊藤敏彦氏)だった。

大手自動車メーカーに出荷へ

航空機のわかる技術者は確保したが、サンフランシスコ講和条約を経て、三菱重工が航空機事業を再開したのは52年。戦後に進化した米国の航空機技術を導入するのに精いっぱい。「空白の7年間は大きかった」

傘中空バルブは今年度中に大手自動車メーカーに出荷を始める予定。2014年度に栗東に約10億円をかけ切断、熱処理、穴開け、絞り、ナトリウム注入などの一貫ラインを設ける。月産50万本の能力で、数年後には25億円を追加投資し同200万本にする計画だ。

三菱重工は傘中空技術を進化させることができた。資料を残した戦中の技術者、吉村氏、森井氏。誰が欠けてもこの技術はよみがえらなかった。ただ、数多くの研究所や事業所を抱える同社だけでは課題を解決できず、OBとはいえ、個人経営に近い吉村氏が解いたのも事実。

吉村氏は傘中空の技術開発を機に鍛造のコンサルティング会社、吉村カンパニー(名古屋市)を設立した。自動車メーカーなどに鍛造技術を提案している。三菱重工でも時折講演するが「大事な技術の継承者が管理職になって現場を離れてしまう」と嘆く。

次世代に技術のバトン渡す

同社に限らず、大手企業は技能道場などをつくり、技能伝承を進めている。そこでは若手技術者が合宿なりして基本技能を吸収する。ただ「研修で過去の技術はコピーできても、最新技術と組み合わせて本当に武器となる技術に進化させるのはまた別」(森井氏)だ。

「電気はどうやってつくるか知ってるかい。発電機を回す方法はいろいろある」

三菱重工は風車を使った発電機作りなど、数年前から小学校で理科の出前授業を開いている。講師の一人が元社員の山之内憲夫氏。戦後初の国産旅客機、YS-11の設計に関わり、テストパイロットも務め、日本の航空産業の発展を支えた。昨夏も本社近くの小学校で他のメーカーの幹部OBと科学の楽しさを教えていた。

戦前から戦後、そして将来を担う子どもたちへ。地道にものづくりの技術のバトンを渡すことが日本の製造業の未来につながる。

(産業部 三浦義和)

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