震災後100日、鈴木修の決意 「東海地震リスク」と闘うスズキ

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2011/6/28 7:00
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スズキの鈴木修会長兼社長は今月23日の業績見通し会見で、突如「東海地震のリスクを分散するために、静岡県内の拠点の再配置を検討する」と発言し、周囲を驚かせた。その発言の真意は何だったのか。1978年に社長に就任してから33年、「俺たちは中小企業」「大手さんと一緒のことをやっていたら生き残れない」と言いながら、スズキを「世界大手の一角」に押し上げた。そんな「闘う経営者」が、3月11日の東日本大震災という未曽有の国難を目の当たりにして何を思ったのか。「3.11」から3カ月半、鈴木氏の揺れ動く心の裏側を、その言動から振り返ってみたい。

3月15日午前。震災対応について聞こうと、浜松市のスズキ本社に鈴木氏を訪ねた。しかし、応接室の椅子に腰掛けるや否や、窓越しに遠くを見つめて考え込んでしまった。話しかけても言葉が返ってこない。数分して、苦笑いしながらようやく話し始めた。それは意外な発言だった。「いやぁ、こんな事だったら相良は作らなかったよ」と。

相良とは静岡県牧之原市にあるスズキの最新工場。年間100万基超のエンジンを製造している。まさに、スズキにとって、事業拡大をけん引する「エンジン」なのだ。東海地震を想定し、海抜70メートルの高台を選んで建設したが、中部電力の浜岡原子力発電所からわずか11キロメートルしか離れていない。政府が「30年内に8割以上の確率で発生する」と認めた東海地震で、東京電力の福島第一原子力発電所のような放射能漏れの事故が起きれば、相良は避難区域に入ってしまう。

津波の被害から逃げられても、工場は動かせずエンジン供給が寸断される。相良以外の静岡県内の3拠点も、津波や液状化の影響を受ける可能性が高いこともわかった。「分散するしかないのか」「しかし、そんなカネはないよ…」。突然襲ってきた震災リスクの前に、百戦錬磨のカリスマ経営者が立ちすくんでいた。

そうした危機感がスズキの経営体制の見直しにつながったという。それは、33年もの間、維持してきた「ワンマン経営」の看板を下ろすかのような動きだった。

記者会見するスズキの鈴木修会長兼社長(4月1日、浜松市)

記者会見するスズキの鈴木修会長兼社長(4月1日、浜松市)

4月1日付の組織改正で、長男の鈴木俊宏取締役など4人の役員を「経営企画委員会」のメンバーに選定した。浜松市で開いた記者会見では「自分一人で決められるという、うぬぼれがあったが、震災が起きて多くの課題を抱えたいま、合議制でやっていくしかない」と語った。記者から「若い世代に託すということではないのか」と問われると「敵前逃亡はできないでしょう」と語気を強めた。

その後しばらく、震災について公に語ることはなかった。取材に応じても、遠くを見て考え込むことが多くなった。震災と真正面から向き合い、経営者としての力の限界を感じているようにも思えた。

5月6日に、転機が訪れる。菅直人首相が浜岡原発の全面停止を中部電力に要請すると発表した。

鈴木氏の声を聞こうと同日夜、本社を訪問した。応接室に現れた鈴木氏の表情は、安堵に包まれていた。「『欲しがりません勝つまでは』というか、『フグは食いたし命は惜しし』というか…。まあ、節電をしっかりやっていきますよ」。夜食として出前で取ったギョーザをほおばりながら、笑顔でこう語った。

5月10日に東京で開いた決算会見でも浜岡停止について質問され、「正直、ほっとしている」と話した。経団連の米倉弘昌会長が浜岡停止要請について「科学的な根拠を示せ」と批判するのとは対照的な反応だった。

真意を測りかねる記者たちは会見終了後も「電力不足が事業に影響を与えるのでは」などと詰め寄ったが、「福島の現状を見たら怖いでしょう。国民一人ひとりが服装を工夫するなど、生活を見直す良い機会」とけむに巻いた。

浜岡が停止しても、一息つけたという程度で、抜本的な解決になったわけではない。そんな状況下で、孤独に悩み苦しんできた鈴木氏には、どうしても許せないことがあった。それは危機感を共有できていないと思えた地元自治体の存在だ。

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