ドイツ製鉄の名門が陥った企業統治のわな

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2013/2/19 7:00
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クロンメ会長はシュルツ氏に引導を渡し、11年に重電大手シーメンスの部門トップだったハインリッヒ・ヒージンガー氏を新社長に迎える。人心一新ということだが、監査役会は毎月、米州事業の報告を受けていたのに、クロンメ会長は「10年の時点で2年以内に黒字化すると聞いていたが、新社長の下で調べ直したところ、違っていた」と説明。渦中でブレーキはかからなかったのだ。

では、ティッセン・クルップの企業統治の要はどこにあるのか。そのカギは企業の生い立ちをさかのぼるとみえてくる。

アウグスト・ティッセンが創業したティッセンの一族は経営、資本の面ですでに影響力はない。一方、フリードリッヒ・クルップが創業したクルップは、筆頭株主のアルフリート・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ財団を通じて影響力を持っている。その財団を率いるのがベルトルト・バイツ名誉監査役会長だ。

クルップは、19世紀のビスマルクやモルトケの時代を支える兵器を造り、第2次世界大戦まで軍との関係が続いた。ニュルンベルク裁判で有罪判決を受け、1953年に会社再建に乗り出したのが、5代目のアルフリート。財団の長い名前の本人だ。家長のトップダウンが当たり前だった経営と財産管理のため、アルフリートは包括代理権を持つパートナーとして、バイツ氏を迎える。

現在99歳のバイツ氏は「最後のクルップ」といわれている。第2次大戦中はポーランドの石油会社で働き、強制収容所に送られそうになったユダヤ人労働者らを救ったという逸話を持つ。アルフリートがこの人物に信頼を置いたのは、暗い時代を経て、家業の再興を担った家長にしかわからない思いがあったのだろう。バイツ氏は67年に死去したアルフリートの一族に後継者を見いだせなかった。クルップが株式会社となったのはティッセンとの合併の7年前のことで、大番頭がのれんを守る企業としての歴史が長かった。

そのような企業で経営者はどう立ち回るのか。この2年間、外部の目で立て直しを進めてきたヒージンガー社長は「結束して無条件の忠誠心を示すことが何より優先され、誤りは修正せずに口をつぐみ、法令に抵触することをいとわない者もいた」と言い切る。米州事業の失敗だけでなく、鉄道の線路納入カルテルなどコンプライアンス(法令順守)の問題も吹き出し、名門の傷を広げた。

今年1月の株主総会で、クロンメ会長は監査役会がもっと早い時期にブレーキをかけられた可能性を認めた。会長自身はドイツ政府の企業統治の諮問委員会で委員長を務めた経験があり、06年にシーメンスで発覚した多額の不正支出事件では、同社の会長も兼務して改革に辣腕をふるった。そして今回、痛恨の思いで長年勤めた企業の風土を変えなければならない立場となった。

(国際部次長 後藤未知夫)

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