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毛筆フォント、なぜウソっぽい? "本物"再現に意外な障壁

元日に届く年賀状。毛筆で書かれた名前や住所に、正月らしさを感じる人も多いだろう。最近は、手書きに代わって「毛筆フォント」を使った印刷文字が増えている。ただ、本物と見まがうような文字もあれば、どことなく違和感がある文字、いかにも嘘っぽい雰囲気の"毛筆風"文字などもある。こうした違いはどうして生まれるのか。毛筆フォント専門メーカーに話を聞き、秘密を探った。

無料で入手できるものも

年賀状の宛名書きには毛筆フォントが広く使われるようになってきた

フォントとは、コンピューターで表示したり印刷したりする際の文字の形。ゴシック体や明朝体など多くの種類がある。文字の形を小さな点(ドット)の集まりで表現するタイプや、輪郭線の集まりとして表現するタイプがあり、アウトラインフォントと呼ばれる後者は拡大・縮小しても滑らかな輪郭の文字を出力できるのが特長。コンピューターやプリンターの性能向上に伴い、最近、比較的広く使われるようになってきている。

毛筆フォントは、これらのうち毛筆で書いたような字形を表現するフォントの総称。表彰状や年賀はがきの作成などに使われることが多いが、無料で手に入ったり、ワープロソフトのおまけ的に搭載されていたりする毛筆フォントの書体は、どこか安っぽい印象を受けてしまう。なぜなのか。

偏や旁などパーツを使い回し

賞状専用フォントを開発・販売する日本書技研究所(東京・目黒)の中本白洲取締役は「偏や旁(つくり)などのパーツを使い回しているからではないか」と指摘する。

本来の漢字の字形は、同じ偏でも、旁の1画目の位置や向きによって、偏の終画の角度のほか「間(ま)の取り方も違ってくる」(中本氏)。例えば「王へん」がつく漢字。右に「見」がつくだけの現と、「リ」「王」が並ぶ班では、王の字形バランスが変わってくる。このような極端な例は別としても、こうした事情を考慮せずに機械的に偏と旁を組み合わせて字形を作るケースが多いため、一字一字が画一的に見えてしまうのだというのだ。

コンピューターへの負荷も考慮

にじみを強調したコーエーサインワークスの「白龍」書体

毛筆フォントの書体が安っぽく見えてしまうもう一つの理由は、毛筆特有の「筆の割れ」や「かすれ」の再現が難しい点にある。これらは毛筆の特性であり、美的観点からも重要な要素だが、「かすれは筆の運びで生まれる偶発的なもの。一回書いてすぐ作れるというものではない」と語るのは兵庫県多可町のフォント会社、白舟書体の丸岡雅憲代表取締役。

本来黒く塗り潰せば済む部分のかすれをあえて再現しようとすると、「(字形を表現する際に必要な)データ量が数倍から数十倍に膨らむ」(鹿児島県さつま町のフォント会社、コーエーサインワークスの坂口太樹代表)。その分コンピューターにかかる負荷も大きくなってしまうのだ。

毛筆フォントが本物らしく見えない原因が「漢字の構成部分の使い回し」や「かすれの省略」にある以上、本物と見分けがつかないほど精巧な毛筆フォントを作ろうとすれば、その逆を追求しなければならない。フォントの基本セットは日本工業規格(JIS)第1、第2水準の漢字に加え、平仮名、片仮名、記号類を含め通常7000字近く。これらを一字一字、元データとして書き起こす作業が前提となる。

著名な書家に頼めない事情も

このため著名な書家の名を冠した毛筆フォントは意外に少ない。7000字でも膨大な作業量なのに、さらに「荒々しいイメージ」「優しいイメージ」など複数のバリエーションを用意しようとすれば、下書きする字は合計で万単位に及ぶ。所要期間や費用の面などを考えると、著名な書家に依頼するのは事実上不可能なのだ。

実際、日本書技研究所では、書家である中本氏が自ら筆を執っており、コーエーサインワークスでは「身内の書家」、白舟書体は「地元の複数の書家」とどちらも"有名ではない書家"で対応している。書き直しを依頼する場合「高名な書家先生ではプライドやポリシーが邪魔をするので、作業が思うように進まない」という現実的な事情もあるようだ。

かすれの再現には苦労がうかがえる。坂口氏は「極力残すようにしているが、データ量が大き過ぎてエラーが出ないようギリギリの水準で修整する」。丸岡氏も「コンピューターに負担がかかるほどデータ量が大きい場合は、かすれを少なくしたり、修整したりする」。

これまで字形の再現度の高低は、データ量の大きさによる制約を受けてきた。しかしIT(情報技術)の進歩は、新たな字体表現への道を開いた。コーエーサインワークスは2008年、毛筆で和紙に書いたときの「にじみ」を再現したフォントの製品化に成功。同社の他のフォントに比べ1文字のドット数は2倍以上の多さだという。

「実際に書いた字に勝るものはない」

だがフォントでは再現不可能な毛筆の特長がある。一つは「墨の濃淡」。毛筆で文字を続けて書いていくと墨は次第に乾いていって薄くなるし、線と線が交わる部分の濃さなどには微妙な差異が生じる。フォントは黒一色しかないため「濃淡が段階的に少しずつ変わっていくグラデーションを自然に表現することはできない」「薄墨は(出力時にインクなどで)色を変えてもらうしかない」というわけだ。

もう一つは「筆勢」「筆脈」などと呼ばれる筆の流れやリズム。単一の字としては実際の毛筆とそっくりでも、複数の字が並ぶ文章になったときに、その違いが顕著になる。

例えば縦書きの書では、上の字を受けて下の字の大きさを変えたり、傾きを調整したりとその都度微修正しながらより自然な形や配列をつくっていく。しかしフォントは大きさが均一。次に続く字によって大きさを変えるという煩雑な作業には対応できない。結局、前出の3氏も「実際に書いた字に勝るものはない」と口をそろえる。

空海フォントの試作品で打ち出した「感動創造」の文字

幻と消えた「空海フォント」

著名書家の筆致を再現した毛筆フォント作成の試みもなかったわけではない。その一つが、三筆の一人にも数えられ、日本書道史に不滅の足跡を残した弘法大師・空海の能書をフォント化するプロジェクト。1990年代に書家、研究者、大手ソフトウエア会社がタッグを組んで10年近く取り組んだが、商品としての採算が合わず、実現のめどが立たないまま、「空海フォント」は幻に終わった。

基礎資料にしたのは、空海24歳(797年)の書「聾瞽指帰(ろうこしいき)」。JIS第2水準までの全漢字網羅を目指した。元データを書き起こす臨書役には空海の書の権威、手島右卿氏(故人、文化功労者)のまな弟子だった書家、貞政少登氏(元独立書人団理事長)。監修者は、空海の遺墨から4万字を渉猟して「空海大字林」を完成させた研究者、飯島太千雄氏。

書家、貞政少登氏

フォントは漢字だけでなくアルファベットなどの変換もできなければ実用性がない。空海の時代にアルファベットはまだ日本に伝来していなかったが、飯島氏は「(運筆のスピードなどを計算して)空海ならこう書いたはず、と想像力を働かせた」。下書きを終え、数文字なら出力できる試作品段階までこぎ着けたが、運筆の緩急、筆勢の強弱、筆の割れ、文字のかすれなど高い再現性を追求し過ぎた結果、データ量は膨大に。追加費用も膨らみ採算が合わず、支援会社も手を引いたためプロジェクトは頓挫した。

さて年賀状の話に戻ろう。宛名などに毛筆フォントが使われていたら、どれくらい本物らしいか、それとも嘘っぽく見えるか、あらためて眺めてみては。手書きならその人ならではの字の持ち味を再認識できるだろう。きっと新たな発見があるはずだ。

(中川淳一)

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