ルーツは源氏と平家? 紅白歌合戦が赤白でないワケ
大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」。今年で64回目の長寿番組であり、「紅白を見なければ年を越せない」といわれた時代もあった。この紅白歌合戦に限らず、運動会など2組に分かれて勝負を競う戦いでは「紅白」の文字が多く使われる。でも、「あか」組と「しろ」組の対抗戦なのに、なぜ「赤白」ではないのか――。

紅白歌合戦という番組名の由来は何だろう。話は1945年の終戦直後にさかのぼる。その年の大みそかに放送された「紅白音楽試合」というNHKのラジオ番組が、そのルーツ。音楽番組に対抗戦の要素を持ち込み勝敗を競うという、類を見ないアイデアが大好評を得て、紅白歌合戦の誕生につながった。
■発案者はディレクター
なぜ紅白だったのか? NHKの広報担当者は「古い話なので確実なことはわからない」と話すが、文献などによると、発案者はNHKディレクターの近藤積さん(故人)。学生時代に励んでいた剣道の対抗戦「紅白試合」にネーミングのヒントを得たとの説が有力だ。
2組に分かれる対抗戦を紅白戦や紅白試合と呼ぶのは、剣道に限らない。明治以降、学校の運動会やスポーツ競技の場面を中心に頻繁に使われてきた言葉だ。辞書にはこう書いてある。
(日本国語大辞典第2版)
突然出てきた「源平試合」という言葉。平安末期に起こった源氏と平家の壮絶な戦いのことだが、いったい紅白試合とどんな関係があるのか。さらに辞書をめくると、ヒントになりそうな文言が登場した。
(大辞泉第2版)
源平合戦は、権力者だった平家と対抗勢力の源氏が戦闘を繰り広げ、平家政権の崩壊と源氏による鎌倉幕府の樹立につながった。この戦いを象徴するのが、両軍が持った旗。敵と味方を区別するために、平家があか、源氏がしろの旗をたなびかせた。あか対しろの構図はここからきているらしい。
では源平合戦の平家のあか旗は、「赤」か「紅」か。
14世紀ごろに書かれたとされるおおもとの本をベースにした「日本古典文学大系・平家物語」(岩波書店、1959~60年)の文章を追うと、平家の旗は「紅旗」ではなく「赤旗」ばかり。源平合戦に由来する2組の戦いを表現するのなら、「赤白合戦」とするのがふさわしく思える。
■紅は幸運の象徴、赤は…
なぜ赤白ではなく紅白なのか。決定的な証拠は残っていないが、考えられる説はいくつかある。一つは漢字発祥の地・中国の影響だ。
「中国ではあか、といえば赤ではなく紅の字が多く使われる」と話すのは、共立女子大名誉教授で日本中国語検定協会理事長の上野恵司さん。「紅は単にあかい色を示すだけでなく、『好ましく魅力的な色』とされている」
例えば「紅人」は人気者、寵児(ちょうじ)という意味。ご祝儀は「紅包」と呼ばれる。紅は色彩だけでなく、縁起の良さや事業の順調さをも示す、幸運の象徴のような漢字だ。
赤はどうか。紅に比べると限定的な使われ方が多く、色としてよりも「赤脚(裸足(はだし)になる)」「赤裸裸(丸裸)」――など体を露出する意味で使うことが多いという。転じて「赤貧(貧しい)」など何もない状態を指す言葉にもなるそうだ。
源平合戦の故事そのものに由来する、という説もある。
平家物語に登場する源平合戦のハイライト、壇ノ浦の戦いの場面にこんなくだりがある。
「海上には赤旗あかじるしなげすて、かなぐりすてたりければ、龍田川の紅葉ばを嵐の吹ちらしたるがごとし」
源氏の手に落ちた平家一族が滅んだ後、平家のシンボルだった赤旗が海に散乱した様子を、紅葉の美しい色になぞらえたシーンだ。紅は、5世紀ごろ日本に上陸し染料に使われた紅花(べにばな)のことも指す。とりわけ身分の高い人々が好んだ色だったという。
■日の丸も紅色
ちなみに1999年にできた「国旗及び国歌に関する法律」では、日章旗(国旗)の日の丸の部分も赤ではなく紅色。日本でも紅色は単なる赤ではない、特別な意味を持つ色のようだ。
ただ近年は、紅白ではなく「赤白」で対決の構図を表すケースが出てきている。例えば子供たちが運動会で使う「紅白帽(こうはくぼう)」。これを「赤白帽(あかしろぼう)」と呼ぶ人が多数派になっているようなのだ。
■若年層ほど「赤白」派?
NHK放送文化研究所が2006~2007年、全国約1800人に聞いたところ、紅白帽と答えたのは29%。赤白帽が60%と多数派だった。年代別にみると、赤白帽派は60代以上で49%だったのに対し、10代では68%。同研究所の塩田雄大さんは「若い年代ほど赤白帽派が多い。紅白帽よりも赤白帽が使われる割合はもっと増えるだろう」とみる。

理由として考えられるのは、学校教育現場での色の指導方法だ。
昭和初期に出た、当時の尋常小学校の図画工作の教師向けの手引書には、「クレヨンは第1学年、第2学年においては、赤色、青色、空色……の8色を用いる」(改正尋常小学図画の指導・1932年)と書いてある。3年生以降でも紅色は入っていない。学校の現場では、紅ではなく赤が「あか」だったのだ。
紅という漢字を習う年齢が遅いことも背景にありそうだ。
戦後、文部省(現在の文部科学省)は小学校の学年別に習う漢字を定めた。1958年の策定当初は、赤は小学1年で習うが紅は小学校で習う漢字ではなかった。紅が正式に入ったのは1980年。それも6年になってようやく習う位置づけで、現在に至っている。
漢字の読み方も影響している。紅を「あか」とする訓読みは辞書には載っているが、国が定めた常用漢字のくくりでは外されている。
子供たちにとっては、紅組より赤組の方が最初に覚える言葉になるわけで、若い世代に赤白帽派が多いのもうなずける。
■青赤・青白… 海外では様々な色分け
海外では、中国は東西や南北対決というように方位で対抗戦を示す。色別であっても、米国の青(民主党)対赤(共和党)、韓国の青対白など色分けは様々だ。
日本でも少子化が進む小学校の中には、3クラスしかない学年だと2チームに分けるのが難しいので赤、白、青の3色対抗戦にするなど、紅白一辺倒ではなくなっている。
12世紀の源平の合戦から800年以上引き継がれてきた紅白対決。21世紀の今、紅白といえば紅白歌合戦を連想する人が依然として多いなか、この色分けが消えていくかどうかの命運を握るのは、やはり同番組の視聴率、といったら少し大げさすぎるだろうか。
(武類祥子)