指紋が消えた 大辞林編集者が語る「辞書人生50年」

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2013/4/9 6:30
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――88年11月3日、2656ページにおさめた「大辞林」が刊行。7年の予定が大幅に遅れ、企画から発売まで28年かかった。

大辞林の記録
収録語数刊行年編集長(敬称略)
初版22万1988年倉島節尚
2版23万30001995年萩原好夫
3版23万80002006年本間研一郎
Dual大辞林随時更新随時更新山本康一

※Dual大辞林は、ウェブで利用できる更新版データ

「売れるかどうかは分かりませんでしたが、使ってもらえれば良さは分かるという自信はありました。結果的に100万部を超えるベストセラーになり、翌年にかけ辞書ブームを引き起こしました。増刷に次ぐ増刷。ただ、大辞林は特殊な用紙を使っていたので、三省堂の八王子工場のほか限られた印刷工場でしか印刷できず、大量増刷に対応するため四国の印刷工場にまで紙を運んで印刷してもらったこともありました」

「五味局長はベストセラーに入ると『千載一遇のチャンスだ』と言い、品切れ店続出の報に『神の声だ』、大増刷にあたっては『天の声だ』と表現しました。今思い出しても愉快です。大辞林を上野会長に届けると『こんな本を作っていたのか』と言われました」

辞書編集の仕事、社会に広く知ってほしい

――大辞林の刊行後、請われて大学教授に移った後も三省堂で辞書作りを続けた。辞書に関する著書や論文を発表し、大学退職後も国語辞書研究室を主宰。常に辞書とともに歩む。

「大辞林が出た後は抜け殻状態でした。もう一度新しい辞書を作れる気力があるかを考えて、その気力が足りないと感じていたときに大学から声がかかりました。決断したのは『欧米のように辞書編集者も大学教員と対等に評価されるべきだ』と考えていたことを実現できると思ったからです。欧米と比べ日本は辞書編集者の社会的認知度が低い。辞書作りに携わることは手間がかかる割に業績や名誉にならないため、国語学者が関わりたがらなかったり、関わりたくとも関われなかったりする状況があります。だから辞書編集の仕事がどういうものであるか社会に広く知ってほしかった」

「ところが大学へ移ってからも会社から離れられず、再び『新小辞林』の改訂を委嘱されました。新しい編集方法を考えないと惰性で作ることになりそうだったので『この辞書は原稿用紙を一枚も使わないで作りましょう』と宣言。90年代に入りワープロがかなり普及していましたから、ワープロで原稿を打ち、工場とのやり取りもフロッピーを使いました」

編集者は黒子でいいのだ

――企画から約50年、初版刊行から25年たつが、倉島氏の名前は大辞林のどこにもない。

「編者と編集者との関係を建築に例えれば、編者は建築家で編集者は現場責任者です。建築家の名前は後世に残っても、建物を作った現場責任者の名前は残りません。辞書編集者が社会的に認められてほしいと思ったからこそ大学教員にもなりましたが、編集者は黒子でいいのだという思いも強くあります。私の人生において大辞林は青春から壮年期のすべてでした。私の人生の軸には常に大辞林がありました」

(聞き手は山本紗世)

▼倉島節尚(くらしま・ときひさ) 1935年長野県生まれ。59年東大文学部国語国文学科卒、三省堂入社。出版局長、常務などを経て90年大正大文学部教授。2008年名誉教授。著書に「辞書と日本語」(光文社)、「日本語辞書学への序章」(大正大学出版会)などがある。

舟を編む

著者:三浦 しをん
出版:光文社
価格:1,575円(税込み)

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