指紋が消えた 大辞林編集者が語る「辞書人生50年」

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2013/4/9 6:30
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――辞書の改訂は短期間で利益が見込める。「舟を編む」でも新しい辞書の製作資金を賄うため学習辞典の改訂に取り掛かる場面が描かれている。

倉島節尚氏は、資金捻出のために教科書予算に辞書予算を忍び込ませたこともあった

倉島節尚氏は、資金捻出のために教科書予算に辞書予算を忍び込ませたこともあった

「企画の売却は免れたものの、編集部員は当面の利益が見込める事業に駆り出され、私は昭和30年代に刊行した『新小辞林』を改訂しました。予算がなく、知人の国語学者にお礼は後で払うからと頼み、2人で原稿を5000項目ほど新たに書いて10カ月で刊行。20万部ほど売れました。この時期つらかったのは、大辞林の仕事ができなかったことです。残業代が払えないので残って仕事をすることもできない。教科書予算に辞書の予算を忍び込ませてお金を工面したこともありました」

アポロ計画、国鉄民営化…記述見直しも

――更生計画を達成した84年、役員会で大辞林の刊行許可が下りた。

「刊行が決まった後も『本当に広辞苑と戦えるのか』『売れるか分からない』など反対の声がありましたが、五味敏雄出版局長(後の社長)が出版局員を集め、『ゲラの一枚も読まずに批判するな、大辞林は三省堂の歴史的事業なんだ』と一喝してくれ、皆が協力するようになりました」

「大辞林は二十数年かけて執筆されたために、記述内容の古くなった項目が出てきました。製作中にアポロ計画で人類が月に降り立ち(69年)、国鉄が民営化され(87年)、青函トンネルが開通する(88年)などの出来事があり、22万語の中から関連する語句を全て拾い上げ対処をせねばなりません。電子化が進んだ今なら作業は簡単でしょうが、活版で作った辞書でしたから、人海戦術で全ページに目を通して直すしかありません。行数が増減するとまずいので、繊細な作業が要求されました」

初校は200ページ以上の分量超過

――最後の難関が分量の調整だった。初校が組み上がった段階で予定の200ページ以上もの分量超過が判明した。

「一緒に仕事をしていた若い編集者には『編集とは削ることだ』と伝えました。辞書編集は増補よりも削除の方がはるかに難しい。情報量を減らさずにいかに文字量を減らすかが編集者の腕の見せどころです。矛盾しているのは『この辞書は一言多い辞書にしたい』と考えていたところです。例えばトキは日本固有種だから『学名はニッポニアニッポン』と入れたかった。味気ない辞書にならない一工夫は必要です。結果的に削られましたが……」

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