2018年10月16日(火)

ところてん、関西ではなぜ黒蜜?(謎解きクルーズ)
砂糖卸集まり「甘党に」 貴族から流行か

2014/6/25 6:30
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暑さが厳しくなってきた。さっぱりとした口当たりのところてんを食べたいと思ってスーパーで買ってみたら、黒蜜のたれがついてきた。ダイエット中の記者にとっては思わぬ誘惑。出身の関東では酢じょうゆをかけるのが一般的だ。同じ夏の味覚なのに、どうしてこんなに味付けが違うのだろうか。

ところてんのタレとして店頭に置かれる黒蜜(大阪市中央区の「黒門 ふる里の香り」)

ところてんのタレとして店頭に置かれる黒蜜(大阪市中央区の「黒門 ふる里の香り」)

「大阪の台所」との異名をとる大阪市の黒門市場。場内に本店を置く豆腐店「黒門 ふる里の香り」では、ところてんのたれとして黒蜜か酢じょうゆを選べるようにしている。店員に聞くと客の7~8割が黒蜜を選ぶという。

創業230年超の老舗ところてん茶屋「清水屋」(香川県坂出市)では全国から注文を受けるため、両方の味付けをそろえる。同店の筒井雄一郎さんは「東西で味の注文が分かれる」と話す。

筒井さんによれば、ところてんが大陸から日本に伝わったのは奈良時代から平安時代初期。当初は専らからし酢をかけた食べ方で、うまみを増すためにしょうゆを足す味付けが全国に広がったそうだ。

だが、奈良、京都といった当時の都の周辺では同時期、中国から輸入された砂糖が貴族の間で流行していた。筒井さんは「風味の濃いところてんに合うように、砂糖を使って作る、黒蜜で甘みを足す食べ方が生まれたのではないか」と推測する。

◆ ◆ ◆

それでは、なぜ江戸時代以降も黒蜜文化が関西にとどまったのか。甘味文化に詳しい老舗菓子メーカー、豊下製菓(大阪市)の豊下正良社長に尋ねてみた。「砂糖が庶民に出回り始めたのは江戸時代の元禄期に入ってから。とはいえ依然高価だったため、当時は薬として扱われていた」という。

薬の原料を扱う商人、薬種商は大阪・道修町に集中しており、今でも塩野義製薬などの製薬会社が周辺に本社を構える。豊下社長の見立てでは「砂糖の卸売り機能が集まった関西だからこそ、庶民にも甘味の文化が根付いたのだろう」とのことだ。一方、江戸では地方から上京した単身の男性が多く、そばを好むなど「粋(いき)な食文化が発展。甘い味付けよりも、酢じょうゆのところてん文化が残ったのでは」という。

なるほど。ところてんの普及時に甘味文化が発達していた関西だからこそ、黒蜜という食べ方が根付いたのか。そう納得しかけたところ、清水屋の筒井さんがポツリと「まあ、こちら(四国)の方ではだし汁をかける人もいますけどね」とつぶやいた。えっ。と聞き直すと「それどころか、箸1本で食べるというお客様も多いですよ」とのこと。単純な東と西との線引きでは分けられないようだ。

◆ ◆ ◆

地域ごとに食べ方がどう違うのか。ご当地でのところてんの食べ方を投稿してもらうホームページ「とこマップ」を運営する老舗「ところてんの伊豆河童」(静岡県清水町)の店長、栗原康浩さんに聞いてみた。同店が製作した地図を見ると、高知や愛媛県では「カツオのだし汁をかける」「めんつゆで、しょうがと一緒に」といった味付けで食べる例が紹介されている。全国有数のカツオの漁獲高を誇る高知県や讃岐うどんで知られる香川県が近隣にあることから、「麺類のように、だしのうまみを利用した独自の食べ方が発達したのではないか」と栗原さんはみる。

「箸1本で食べる」というのは愛知県など東海地方や新潟県でもみられる風習という。栗原さんが現地で聞き取ったところ「箸でつまんで切れると縁起が悪い」「かきこんで食べるものなので1膳もそろえる必要はない」「箸1本でもすくえるところてんは、弾力があって質がいい」と理由は様々だったとのことだ。

一千年以上の歴史があり、味付けも多様なところてんは地域の食文化を反映しやすい。郷に入れば郷に従え。私も甘い味付けを楽しもう。

(大阪経済部 岩沢明信)

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