日本の喫茶店文化 関西で発祥?(謎解きクルーズ)
高度成長で急増 競争から新サービス
「冷(レー)コー1つ!」。喫茶店で涼んでいると、年配男性が聞き慣れない言葉で注文した。出てきたのはアイスコーヒー。店長に聞くと「関西の喫茶店言葉です。若い人はあまり使いませんね」と教えてくれた。さらに「日本の『喫茶店文化』は関西発ですよ」と。なぜ関西で喫茶店文化が花開いたのか。今も名残はあるのだろうか。
大阪市浪速区の新世界にある創業66年の老舗「千成屋珈琲(コーヒー)店」を訪ねた。木目調のシックな内装。店主の恒川豊子さん(71)は「昔はありふれた喫茶店でしたが、今では懐かしがって国内外からお客さんが来ます」と話す。

「こうした『伝統的』なスタイルは戦後、関西から広がりました」と大阪府喫茶飲食生活衛生同業組合の友田喜三理事長(78)は説明する。
関西の喫茶店文化は明治時代にさかのぼる。貿易港で多くの外国人が居住していた神戸にはコーヒーを扱う商社が多く、いち早くコーヒーを出す店もあった。
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高度成長期、大阪を中心に出店ラッシュが起き、全国一の「喫茶店王国」が築かれた。オフィスが狭く応接スペースがない会社が多く、商談の場に喫茶店が活用されたのが一因という。
事業所統計などによると都道府県別の店舗数では大阪が少なくとも30年以上、トップを維持。総務省の経済センサスでは2012年も9833店で1位だ。兵庫が4位、京都は7位と関西勢が上位を占める。神戸や京都はコーヒーや牛乳、パンの家庭での消費も全国トップ級。こうした洋風の食文化も背景にあるようだ。

高度成長期には喫茶店がひしめく関西でアイデア競争が展開され、様々なサービスが広がり、定着した。「2種類以上の果汁を混ぜたミックスジュースや、おしぼり、店備え付けの雑誌や新聞、木目調やれんが造りでソファを置く内外装など、今では当たり前のスタイルになっています」と友田さんは振り返る。
割安な価格でトーストやゆで卵などを提供する「モーニング」も、こうしたサービス合戦で形作られた産物の一つといわれる。コーヒーのおまけにピーナツを付けたのが最初で、次第にたばこ、ゆで卵、トースト、サラダなどとエスカレートしていったとされる。
「おまけを付け、『損して得取れ』の精神で客を集めるのは大阪の商いの神髄」。相愛大学の前垣和義特任教授(67、大阪文化論)はこう分析する。
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一方、全国には広がらず関西だけでとどまったものもある。つぶしたゆで卵ではなく厚い卵焼きを挟んだ卵サンドのメニューが代表例だ。

独特の喫茶店言葉も関西ならでは。「冷コー」に加え、レモンスカッシュは「レスカ」、レモンティーやミルクティーは「レティ」「ミティ」と略して呼ぶ。
「もともとは店員が厨房に注文を通す際に使う言葉で、最初は若い女性客がおしゃれ感覚で使ったようです」と友田さん。コーヒーや紅茶に入れるクリームを「フレッシュ」と呼ぶのも関西の特徴だという。
だが、こうした文化を伝える老舗は姿を消しつつある。個人経営者らで組織する大阪府喫茶飲食生活衛生同業組合の組合員数はピークの00年ごろに比べ約6分の1、約500人に激減。「全国チェーン店の攻勢で地元資本の店が減った。チェーン店で『冷コー』と頼んでも通じません」。「リア珈琲」(神戸市)の林靖二社長(61)は悔しげだ。
巻き返しの動きも始まった。最近、新世界では「冷コーあります」と大書したポスターを張る店が目に付く。仕掛け人の「新世界援隊」代表、近藤正孝さん(51)は「昭和の要素が凝縮された喫茶店の良さを広めたい」と話す。
前垣特任教授は「昔ながらの喫茶店はコーヒーを飲みながら新聞を開き、店主らとの会話で豊かな時間を過ごせる。関西独自のスタイルを大事に残してほしい」と話す。
(大阪社会部 松浦奈美)