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熊本城、余震で被害広がる しゃちほこは落下

震度7を記録した14日夜以降、熊本地方を繰り返し襲った地震は文化財にも甚大な被害をもたらした。年間170万人以上の観光客が訪れる人気スポット、熊本市中心部にある熊本城は約400年前の築城当時の姿を残す石垣が崩れ、最上部に据えられたしゃちほこは落下した。16日未明の「本震」や頻発する余震でさらに被害は広がっている。

「危険なので立ち入り禁止にしています」。17日午前、熊本城の入場口の一つ「須戸口門」に向かうと、門の手前には立ち入り禁止のロープが張られており、そばに立つ担当者が厳重に警備していた。

熊本城の被害の甚大さは堀の外から眺めるだけでも十分に痛感できる。天守閣のしゃちほこはなく、瓦もほとんど落ちるなどし、下地が茶色くむき出しになっている。城の南側にある長さ240メートルの国の重要文化財「長塀」も半分ほどがひしゃげて倒壊した。

戦国大名の加藤清正が築城し、完成は1607年とされ、2007年に築城400年を迎えていた。天守閣などは西南戦争(1877年)直前に焼失し戦後に再建されたものだが、石垣は築城当時のものだ。

石垣は上に行くほど勾配がきつくなり、容易に登ることができないため「武者返し」の異名を持つ。優美さと頑丈さを兼ね備え「清正流」とも呼ばれ、江戸時代からその名をはせた。熊本市は保全のため毎年計画的に傷んだ箇所の石を積み替えるなどしてきた。

だが今回の地震で石垣の一部が大きく崩れ落ち、割れた石などが無残な姿をさらす。崩壊した部分は内部の砂利がむき出しになっており、16日の「本震」で倒壊した国の重要文化財「東十八間櫓(やぐら)」「北十八間櫓」も築城当時から残存するものだった。

市民からは「熊本県で一番の観光資源だったのに、非常に残念」(40代男性)、「天守のしゃちほこが落ちてしまった時に、悲しい気持ちになった」(70代女性)と惜しむ声があがる。

熊本城の2015年の入場者数は170万人を超え、近年は外国人観光客からの人気も高まっている。

果たして壊滅的な被害を受けたこれら貴重な文化財の修復は可能なのか。石垣についてはどの石がどこに置かれているかを事細かに記録しており、修復は可能とみられている。やぐらについても図面や写真などの資料が残っているという。

ただ地震発生から4日目となる17日も余震が頻繁に発生。市の担当者も容易に近づくことができず、しゃちほこらしき物も天守閣付近で見つかったが、確認できないなど被害状況の把握も難航している。16日に市の担当者が調査に入ったが、余震のたびに作業を中断され、被害状況の把握は目視だけでの調査にとどまった。

2011年3月の東日本大震災でも多くの文化財が被害を受けたが、同じく石垣が崩れた白河小峰城(福島県白河市)の場合、修復作業が始まったのは約8カ月後の同年末で、今も続けられている。熊本城の修復にも相当な時間を要するだろう。(野岡香里那)

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