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稲盛和夫(5)終戦

焼け跡行商 わが原点 ヤミ市攻勢、同業者も退散

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1945年(昭和20年)4月、鹿児島中学に入学した。1年遅れの中学だが空襲が激しく、勉強する雰囲気ではなかった。B29爆撃機から焼い弾が雨のように降ってくる。特に、6月17日の大空襲は鹿児島市の大半が焼け、「市民の命日」とまでいわれている。この時は奇跡的に焼け残った我が家も8月には消失した。

高射砲が応戦することもなく、劣勢は明らかだった。私にとって終戦は焼い弾から解放されることだった。戦争は終...

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