王者指導して15年 車いすテニスコーチ・丸山弘道(上)

2016/4/17 6:30
保存
共有
印刷
その他

慎吾へ

全豪オープンで初戦敗退した国枝に、リオ大会への挑戦を鼓舞する言葉を手紙で伝えた

桜のつぼみも膨らみ、この春で15年目を迎えます。(中略)年賀状のやり取りさえしない我々にとって、この様な形式的な手紙は初めての事だと記憶します。私はいつも先に進むことばかり考えているので、たまには慎吾との歴史を振り返ることも大切だと思い、改めて文字にして伝えてみることにしました。

「違った刺激与えたい」と国枝に手紙

こんな書き出しで始まり、便箋4枚にわたる直筆の手紙を、車いすテニス選手の国枝慎吾(32)が受け取ったのは3月。差出人はコーチの丸山弘道だ。

国枝が17歳の時以来、したためられているように15年の紐帯(ちゅうたい)がある師弟に、言葉でもメールでもない、格式張った手紙でのやりとりが必要なタイミングと丸山は考えた。1月、全豪オープン初戦で国枝は英国の若手、G・リード(24)に負けた。グランドスラムの初戦敗退は初めてで、初戦負け自体が11年ぶりの出来事だった。9年以上守り続けた世界ランク1位からも滑り落ちた。

国枝が体調を崩し、年末年始恒例の沖縄合宿での追い込みができなかったことが大きい。このため前哨戦を1つキャンセルして練習に振り替え、帳尻を合わせようとしたが間に合わなかった。絶対王者に陰りが出てきたわけではないが、9月にシングルス3連覇がかかるリオデジャネイロ・パラリンピックを控え、丸山は「違った刺激を与えたい」と手紙を書いた。

2人の来し方を振り返り、国枝への感謝の思いを伝え、リオに向けて挑戦しようと鼓舞する内容に、国枝は「(感情を)持っていかれそうになった」。敗戦を機にフォアとバックの打ち方を変える決断をして、また二人三脚が始まった。

丸山は10歳でテニスを始め、ジュニア時代は全日本ランク10位まで上がり、インカレ出場経験もある。大卒後、4年の一般企業勤務を経て、地元千葉・柏の吉田記念テニス研修センターでコーチになった。

国枝との出会いは雨がもたらした偶然だ。2001年、担当の屋外レッスンが中止となり、インドアコートをのぞくと「跳びはねるような躍動感あふれる車いすの少年がいた」。車いすテニスのトップ選手も教えていたが、「何もないところからたたきあげで作っていくのが私は興奮する」とすぐ自ら指導を申し出た。

常にベストの状態で英知かけ携わる

「自分のことは自分でするのがスポーツの本質」だから、選手とコーチは五分五分。常に選手の意見が一番で、自らの考えは伝えた上でお互い納得しながら練習に取り組むスタイルだ。

コーチ業とは、過去の指導経験で得たものを今の選手にぶつけること。「つまり、昔教えた選手が肥やしになっている。だから彼らへの礼儀として、今の選手には常にベストの状態で英知をかけて携わろうと思う。そこは絶対です」

そんな真っすぐさが15年目の手紙を書かせ、国枝という原石をここまで磨きあげたのだろう。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊4月12日掲載〕

日経電子版が最長2月末まで無料!
初割は1/24締切!無料期間中の解約OK!

保存
共有
印刷
その他

五輪関連コラム

障害者スポーツコラム

電子版トップ



[PR]