2019年3月26日(火)

「学ラン」は生き残れるか

2016/3/27 3:30
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制服の思い出は学ランという人も多いのではないだろうか。しかし最近は街中ではブレザーが目につく。その実態は。

ブカブカの学ランを試着する新入生(3月、東京都中央区の三越日本橋本店)

ブカブカの学ランを試着する新入生(3月、東京都中央区の三越日本橋本店)

「ざっと7割がブレザー、3割が詰め襟・セーラーですね。中学校に限れば詰め襟・セーラーがまだ多い」。制服メーカー大手の瀧本の企画開発部の寺前弘敏さんはこう話す。

ブレザー制服が普及したのは1980年代後半からだ。ブレザーに切り替えられた理由はいろいろある。一つは当時流行していた短い裾の「短ラン」やだぼだぼの「ボンタン」など変形学生服を封じるため。国際化が進む中で修学旅行で海外に行く高校も増え、戦争を想起させる黒い詰め襟をさける学校も増えたという。

制服が変更される際には中学・高校ともほぼブレザーになるため、詰め襟・セーラーは徐々に姿を消している。ただ、地方では詰め襟・セーラーが根強くあるという。寺前さんは「詰め襟は兄弟間や近所で譲り合いがしやすい。ブレザーに変えようとしても地域から反対の声が上がることが多いようだ。特に地方ではその傾向が強い」と話す。

「ブレザーにすることでより学校の個性が出せるようになります」と話すのは、菅公学生服・学生工学研究所の川井正則所長だ。「ここ2~3年のトレンドはセレクトショップ大手のビームスなど、服の専門家がコーディネートしたブランド制服」と話す。リボンやスカートの種類を選べる方式も人気だ。

制服工場を実際に訪ねると、制服が多様化する中で制作現場の手間は膨大になっている。スカートのチェック柄に狂いが出ないようにするための手作業の裁断。肩のカーブを出すための手縫い。ほつれの有無の確認と修復作業。一つ一つふっくらと仕上げるためのアイロンがけ……。「これほど手をかけているのだから、制服は決して高くない」。どのメーカーにも共通する思いだ。ただ、その手間暇は必ずしも消費者に理解されていない。格安ファッションに慣れ、高いと感じる消費者とのコミュニケーションも今後必要となりそうだ。

学校制服は時代とともに姿を変えてきた。制服の歴史に詳しいお茶の水女子大学の難波知子氏にその変遷を聞いた。

――学校制服の始まりはいつですか。

「制服の定義は人ぞれぞれだが、学校がルールを決めて、それを自分のお金で購入するという方式で一番始めに制服を導入したのは明治12年(1879年)の学習院だ。ボタンがないホック留めの詰め襟で海軍型といわれている。帝国大学では明治19年(1886年)に金ボタンがついている陸軍型の詰め襟が導入された。その後、旧制高校や旧制中学に広がっていった。高等教育を受ける人は少なかった当時、制服はエリートの証しだった」

――女子はどうですか。

「パット見て女学生とわかるものとしては、はかまが明治30年代(1900年ごろ)に普及した。その後、洋装化の流れが1920年代にやってきて、セーラー服が登場する。当時はいろんな洋装の制服が登場したが、1930年代になるとセーラー服に変える学校が増えていった。それだけ人気だったと言うことだと思う。戦後、高度経済成長期を経て合成繊維の画一的な制服が全国に普及していくのは男子と同じだ」

――制服の役割は何だと思いますか。

「制服の役割は一つじゃない。格差是正のほか、学校のシンボルとしての役割などもある。明治に学習院が制服を導入した際には、貧富の差を隠すことが第一目的だった。学習院は華族だけでなく庶民も通えた。前近代の身分制が色濃く残る中で、学生が生まれや出自で差別されないようにしたいという思いがあったようだ」

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