アジア大会「銀」に導く得点王 水球・中野由美(上)

2016/3/19 6:30
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「(年齢的に)私は東京五輪ではなく、リオデジャネイロを目標にずっとやってきた。これが最後のつもりで戦う」。水球女子代表で最年長の中野由美(29)は、21日にオランダで開幕するリオ五輪世界最終予選を、競技人生の集大成と位置づけている。

初代表になったのは水球の名門、東京女子体育大1年の2005年だった。以来、10年以上もポイントゲッターとして活躍。14年仁川アジア大会では17得点で大会得点王となり、日本を銀メダルに導いた。

仕事と両立しながら長く日本のトップレベルの力を維持してきた

仕事と両立しながら長く日本のトップレベルの力を維持してきた

「シュート技術は天下一品」

左利きから放つシュートは最速でも52キロ。「世界のエース級は60キロ以上。日本代表でも一番遅い」と笑う。160センチの身長も代表選手ではもっとも小さい。

なのに、なぜ得点できるのか。「ぎりぎりまでボールをリリースせず、相手GKが動いてから打ち分ける。シュート技術は天下一品」と女子代表監督の加藤英雄。「ズドーンと打ち込むのではなく、相手の守備を心理戦で揺さぶり、逆を突く」。体格やパワーの不利を補って余りあるテクニックでゴールを量産する。

長らく日本水泳連盟の"お荷物"とも評されてきた水球。11年前に初代表に選ばれた時も「代表としての試合が全然ないから、ジャパンの一員になった実感はなかった」。

当時の水球女子はアジア大会の種目でさえなく、日本代表にとって最大の国際大会はワールドリーグのアジア・オセアニア予選だった。「その直前合宿もたったの2泊3日。しかも、国立スポーツ科学センターのプールを、競泳代表が練習していない朝と夜しか使えなかった」

水球には実業団がなく、社会人になると競技を続けるのが難しい。中野も大学卒業後は水球を続けることを断念、09年春に外資系の製薬会社に就職した。

アルバイトしながら母校で練習

ところが、入社直後に女子水球が10年広州アジア大会の新種目に決まった。晴れ舞台への思いを抑えられず、わずか3カ月で辞表を書いた。しかし、退職後に実力不足との理由で日本女子の大会派遣が見送られ、夢と仕事を一度に失った。

ただ、くじけなかった。アルバイトをしながら母校でトレーニングに励み、代表に復帰。11年に東京都立桜町高校(世田谷)の体育教諭の職を得て、仕事と競技とを両立している。

12年ロンドン五輪アジア予選敗退後に3人の先輩が引退し、仁川アジア大会後も4人のチームメートがプールを去った。長く続けることが難しい競技で、働きながら長く日本のトップレベルの力を維持してきたことが、中野のすごさだ。

現在、千葉県八千代市の秀明大で決戦に備えた直前合宿中。ただ、中野は卒業式などのたびに合宿を抜け出し、勤務先に足を運ぶ。「優先順位が高いのは仕事。生きていかなくてはいけないから」。競技人生の総決算と誓った大事な大会前でも、水球だけに集中はできない。マイナー競技のつらい現実との格闘は、今も続いている。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊3月14日掲載〕

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