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伝承が災禍の連鎖断つ 再び「想定外」と言わぬよう

あの日を越えて

スペインの探検家、ビスカイノが1611年、日本で目撃した慶長大津波の惨状の報告がマドリードの国立図書館に残る。「住民は村を捨て山に逃げ行く。大地震のため海水は1ピカ(3.9メートル)余の高さに。家は水上を流れ、多くの人が溺死」

国王フェリペ3世も目にした「金銀島探検報告」は400年前の岩手県大船渡市越喜来の津波を描く。ビスカイノは被災した相馬藩(現在の福島県相馬市周辺)にも入り、福島第1原子力発電所がある大熊町熊川に投宿した。

かつて大津波は内陸約5キロメートルにある黒木諏訪神社まで押し寄せ、流れ着いた小舟が本殿上の姥杉につながれたという(福島県相馬市、2011年5月撮影)。震災で傾いた姥杉はその後伐採され、伝承の「物証」は消えた

想定外――。5年前、繰り返された言葉だ。今も帰還困難な地には「原子力で明るい未来」と書いた看板があった。欧州に大津波報告が残り、地元にも伝承があるのに教訓を生かせなかった。

共著「歴史としての東日本大震災」でビスカイノの警告を紹介した岩本由輝・東北学院大名誉教授は同原発から48キロの相馬市に住む。「津波到達点の記録は口碑を含めないがしろにできない」

相馬の海から5キロ入った山裾の黒木諏訪神社。5年前、本紙「風見鶏」で津波で流れ着いた舟を境内の姥杉の大木につないだ伝承を紹介した。海抜30メートル超に立つ姥杉は震災で傾き危険なため伐採された。物証は消えた。

相馬から南に250キロ。今回の津波で死者・不明者16人を出した千葉県旭市の海沿いに平松浅間神社がある。「元禄、宝永(18世紀初)の頻々たる津波惨害を苦慮し富士浅間に詣で創建」。宮司、神原靖夫氏は由緒を引き津波との深い縁を語る。

東日本大震災の後、仙台に駐在し南北600キロの被災地を歩いた。北端は八戸市の海猫繁殖地、蕪(かぶ)島。南端は九十九里浜。今回の再訪で思い知った事実がある。日本の海岸線は古来、大津波と闘ってきた記憶を明確に残している。我々が無視してきただけだ。

「復興はやっと半分まで来た」。宮城県の村井嘉浩知事の声だ。平地の岩沼市では避難用人工丘の整備、災害公営住宅への転居がかなり進む。これは少数派である。地形が入り組む三陸沿岸の復興はこれからが本番だ。

死亡率が高かった宮城県南三陸町や女川町は人口が3~4割も減った。両町は今、かさ上げ工事の最中。旧市街を歩いても位置がわからないほど地形が変わった。今後5年が勝負になる。

福島県は別の意味で厳しい。東京電力が当初、隠した炉心溶融で落ちた核燃料がなお発熱する。「とはいえそれらの正確な場所もわからない」と内堀雅雄知事は指摘する。廃炉への道は遠い。

青森から千葉に至る海岸では高い防潮堤の建設が進む。これだけでは被害は防げない。大津波は必ず堤を越える。「高い堤は海を隠し、波音も消す。油断を招き危うい。海の圧倒的な力を思い知った今、とにかく高台に逃げるしかない」。宮城県七ケ浜町のアワビ漁師、伊藤俊一氏は7メートル超の防潮堤上で説いた。

今度こそ過去の伝承に新たな教訓を添えて後世に伝えねばならない。再び「想定外」と口走らぬように。それは被災地に通う安倍晋三首相ら政治家の責務でもある。

(仙台にて、編集委員 中沢克二)

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