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ドイツ留学時代、父から届いた変顔ファクス

ピアニスト、小菅優さん

NIKKEI STYLE

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はピアニストの小菅優さんだ。

――お母さんもピアニストだったとか。

「はい。覚えていませんが、初めてピアノを弾いたのは2歳で、母の膝の上でした。でもピアノだけじゃなく、体操など色々なことをやらせてくれました。物語を読みきかせることもあって、楽しませるのが上手な人でしたね」

――お父さんは。

「小さな会社を経営していて、音楽とは全く関係のない仕事をしています。子どもの頃は植物園や動物園に一緒に行ったのを覚えています。私が幼稚園に通い始めた頃には、朝5時に父を起こしてずっと話しかけたんですって。うるさかったそうです」

――10歳でドイツへ。

「たまたま日本とドイツの交流コンサートで知り合った向こうの先生から、来ないかと言われて、とても行きたかったんです。でも父には仕事がある。母と2人で行くことになりました。母はドイツ語も勉強しなきゃいけないし、今になってその苦労が分かるようになりました」

「自分の親がそばにいるというのは大きい。学校から帰ると和食を作ってくれていました。2人でよくギョーザを手作りしましたね。母は明るくてたくましい人で、ドイツでも近所の人やスーパーの店員さんとすぐ仲良くなれるんです」

――その頃、お父さんは。

「今みたいにインターネットがあるわけじゃないから、毎日電話やファクスでやりとりしていました。父は自分で変な顔を撮ってファクスで送ってくる。父も1人で寂しかったと思います。子どもながらに『家族が崩壊しちゃうんじゃないか』と怖かったですね。大丈夫でしたけど」

――21歳の時にお母さんが亡くなった。

「二人三脚で頑張ってきて、一番近い人だったので片腕がなくなったみたいでした。コンサートが終わった後にまず電話をする人が急にいなくなった。演奏家は孤独な仕事です。本番が終わると空っぽな気持ちになる。母が聴きにきた時はハグしてくれるし、精神的な支えでしたから」

「母から学んだことは大きいです。現状に満足するのでなく、上には上がいるという謙虚さを持つこと。モラルやマナーにも厳しかったです」

――お父さんとの仲は。

「お互い頑固なので、けんかすることもあります。でも、ちょっとしたことで大事にされていると実感します。けんかの後に、私が翌日の表彰式で着るスカートに父がアイロンを掛けていました。無言でしたけど」

――尊敬するところは。

「意見がはっきりしている。私が男性に求めるところもそうかも。あと、全体をよく見てる。1人にとって有利なことじゃなくて全員が楽しくなれることを考えているし、ユーモアがあるところも尊敬しています」

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