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「戦後」から「災後」の日本を憂う 御厨東大名誉教授に聞く

再生への闘い(5)

第2次大戦で敗北した日本では「戦後」という言葉が定着した。東日本大震災で衝撃を受けた御厨貴・東大名誉教授は「災後」の日本を憂う。

――日本は終戦以来の強烈な共通体験となる東日本大震災を経験して「戦後」から「災後」に移行すると主張した。

「まさに『ノアの洪水』のようなものであり、政府から一般国民まで人心に与えた影響は大きかった。理不尽に何人もの命がなくなり、今後の自然災害時にどう対応するのか。もともと東北は過疎問題を抱えていた。そのまま復興してもしょうがなく創造的復興が必要になる。東北を日本の先端に変えることで日本が変わるというのが『災後』の言葉に託した意味だ」

――大震災後に当時の民主党政権が立ち上げた復興構想会議で議長代理を務めた。

「復興構想会議で(『災後』の考え方を反映した)提言を取りまとめた。当時は民主党政権で官僚を縮こまらせた時期だったが、やる気あふれる官僚たちが作業をがんばってくれた。逆にショックだったのは、被災地各地から出てきた復興計画が、もともと過疎化が進んでいたのに人口が増える前提にたったものが多かったことだ」

「何人かの市長や町長に『これではいかんでしょう』といったが、彼らは『先生は選挙を知らない。縮小モデルで選挙は戦えない』と言われた。僕ら(=復興構想会議)の思いと違う『明るい未来』を描いていた。被災地の過疎問題への対応は全国レベルの解決策に持っていくべきだったが、そこまでの発展性は現時点でみられない」

被災地の経験、他地域で生かす

――東日本大震災から5年。今後に向けて必要なことは。

「復興が進んできたのは間違いないが、自民党政権になってから土木事業にお金がバンバン出るようになって一部の被災地では作りすぎの状況もある。原子力発電所の問題など対応が足りないところは、いくらでもある。5年という節目であり、成功と失敗を未来に備えてしっかり検証しないといけない。やはり『災後』(の考え方重視)でやっていかないといけない」

「被害が大きかった宮城県石巻市や同県気仙沼市などの役所に残っている行政情報をうまく生かして、これから地震が起きるであろう地域がモデルとして使うことが考えられる。いい例が石巻市と高知県で、南海トラフ地震に備える高知県と石巻とを引き合わせることができた。検証作業と被災地の行政情報を未来のために生かす取り組みを仲間たちとやっていきたい」

《略歴》御厨貴氏(みくりや・たかし)51年生まれ。東大法学部卒。東大先端科学技術研究センター教授などを経て12年6月より東大名誉教授。復興構想会議議長代理を務めた。政治家など当事者から体験を聞き取る「オーラル・ヒストリー」の第一人者。主な著書に「『戦後』が終わり、『災後』が始まる。」「権力の館を歩く」など。東京都出身。64歳。

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