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震災被災地、復興のその先へ 7人の意見
再生への闘い(2)

2016/3/7 2:00
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 東日本大震災から5年という節目を控え、今後は被災地を元の状態に戻す復旧から、公的資金をテコにした復興、さらに高みをめざす復活へと段階が進む。行政関係者や、ベンチャー経営者、学者に、それぞれの立場から復興に向けた提言・決意を聞いた。

■「除染、際限のない世界」

――原発から20~30キロ圏内の福島県川内村の遠藤雄幸村長

福島県川内村の遠藤雄幸村長

福島県川内村の遠藤雄幸村長

「震災直後、川内村では落ちてきた瓦でけがをした方が1人いました。原発は全く頭にありませんでした。翌朝、自宅から役場に車で向かっていると、多くの車とすれ違うのが不思議でした。振り返るとすでに避難は始まっていたのですが、村長である私のもとに情報は届かなかったのです。12日に1号機が爆発した時も、東電職員と隣町の町議会議員を兼任している方が心配ないと説明していました。何とかなると思っていましたが事態は想像以上に深刻でした。14日に3号機が爆発した後、消防や警察署員は放射線防護服を着用しているのに私たちは持っていない。恐怖を感じました。全村民の避難を始めたのは16日です」

「原発から20キロ圏内の地域かで賠償額に差があります。置かれている状況は変わらないのに、なぜという思いが圏外の住民にあります。復興で重要なのは住民同士の信頼関係ですが、不信感が芽生えています。避難先から帰郷すると賠償が打ち切られる仕組みも、復興を遅くしている面があります。除染によって放射線量を下げたり病院や買い物できる場をつくったりしても、帰郷がそれほど進まないのは賠償問題が背景にあります」

「5年前に戻るのは不可能ですが、人口減少時代に合った村づくりが必要と考えています。村の中心部に災害公営住宅や商業施設、室内プールなどを集める取り組みはその一つです。気候が厳しい冬だけ山間部の住民が村中心部に住めば、山間部にかかる行政コストを浮かすこともできます」

「除染作業がほぼ手つかずの森林を除染した場合、費用は軽く1000億円を超えます。被害を受けた私たちが費用対効果に言及するのはおかしいですが、際限のない世界なのです。時間をかけて森林を整備して線量を下げるしかないのです。いま村の林業収入はありませんが、今年は川内産の木材を市場に売り出してみようと思っています」

「原発再稼働は嫌です。こういう状況下で現役の福島第2原発を再び動かすのは世界の笑いものです。ただ、引っ越し作業や農家の手伝いもしてくれ、そういう意味でのわだかまりはありません」

■「廃炉で世界に冠たる福島に」

――高木陽介・原子力災害現地対策本部長

高木陽介・原子力災害現地対策本部長

高木陽介・原子力災害現地対策本部長

「福島から避難している方は10万人弱いる。できるだけ一人ひとりに寄り添うのが国の方針だ。2014年には田村市、川内村を、15年9月には全町避難された楢葉町の避難指示を解除した。常磐自動車道が15年開通したほか、常磐線も着実に復興に向けて動いている。目に見える形で変わってきている。何より被災者一人ひとりがそれを実感し、帰ろうという意思を持ってもらうことが重要だ。すぐにではないが、一歩ずつ進んでいると思う」

「できることなら故郷に戻って昔の生活を取り戻していただくことが理想だ。ただ避難して5年がたつ。避難先で学校への入学や仕事に就き、生活の基盤を築かれた方もいる。そもそも原発事故によって避難を余儀なくされたわけだから、帰らない選択をした方を支援することも重要だ。私たちは帰れる環境をつくったうえで、皆さんにしっかり判断してもらうことが大切だと考えている」

「理想をいえば全インフラが復旧したのでどうぞ、という形だろう。ただこの5年間、放射線量を下げる除染作業とインフラ復旧を同時並行で進めてきた経緯がある。コップの水が半分しかない時、まだまだと見るか、もうないと見るか。私たちは前を向いていく」

「50年後、福島を世界に冠たる街にしようと思っている。福島第1原発の廃炉作業は40年かかる。そこで使うロボット技術が集積する街にしていく。世界から学者、研究者、技術者、企業を集める。外国人男性は単身赴任を好まないので、奥様が買い物をしたり、子どもに学ばせたりする場をつくる必要がある。世界で増えている原発はいつか廃炉を迎える。廃炉の最先端技術を持つ福島に世界中の人が学びに来るようになる。そうなれば農業、漁業、林業、原発が中心だった街は生まれ変わる」

■「復興の目的は自立」

――長島忠美・復興副大臣(元新潟県山古志村村長)

長島忠美復興副大臣

長島忠美復興副大臣

「災害は一律ではないと思う。被災者が自分たちの地域に対する誇りをもう一度取り戻してもわらない限り、地域再生はあり得ない。自分の経験が100%と思わず、正解はないと思って被災地に向き合うことが大事だ。災害の復旧・復興の目的は何か。村長時代は自立と言っていた。時間がかかる、かからないはあるが、東日本大震災でも変わらない原則だと思う。語弊があるかもしれないが、私はいつまでも被災者のままにしておきたくない」

「村長時代のスローガンは『帰ろう山古志』。そのためには集落がまとまり、相談してもらわなければならない。集落単位で集えるように、ばらばらだった避難所を引っ越ししてもらった。今回ほどの大規模災害では円滑にできなかったが、宮城県の山元町などでは同様の方法をとっていた」

「多くはないかもしれないが、若者は流入している。交流人口を増やすことで日本の中で輝く地域になってもらいたい。福島でいえば、東京電力福島第1原子力発電所がある大熊町や双葉町に30~50年後のことを考えてもらうのは酷かもしれない。自分の代では帰れなくても子どもや孫に地域への思いを伝えてもらいたい。郡山市やいわき市にある大熊や双葉の避難者が入居されている公営住宅を訪れると、諦めのような声を聞くことがある。彼らが社会貢献できるような環境整備に取り組んでいく」

■「大震災で得たノウハウ全国共有」

――徳山日出男・国土交通省事務次官(当時は東北地方整備局長)

インタビューに応える徳山日出男・国土交通事務次官(東京・霞が関)

インタビューに応える徳山日出男・国土交通事務次官(東京・霞が関)

「すぐにヘリを飛ばして被害の甚大さを把握した。通常のパターンなら自衛隊などの救援隊が一番先に現地に急行して救助活動、その後に国交省が道路を復旧する。しかし現地に行くための道路の被害が大きかった。当時の大畠章宏国交相に『救援ルートとなる緊急路の確保と被災した市町村への応援体制が今回の勝負どころです』と申し上げた」

「緊急路の確保は、東北内陸部側の縦のルートはほぼ確保されていたが、そこから(太平洋沿岸の)被災地沿岸に向かう横のルートがふさがっていた。東北地方整備局は(大震災翌日の)12日午前ぐらいから『くしの軸(=縦のルート)はもういいから、くしの歯(=横のルート)をやれ』と言っていて、それが後に『くしの歯作戦』と言うようになった。ただ被災現場では例えば(岩手県の)宮古の出張所の所長は12日の夜明けから作業を(自発的に)始めていた。日本の現場力を痛感した。(『くしの歯』の)横の全ルート16本が約1週間で開通した」

「被災した市町村への応援体制については、普通なら県が応援するのだが県は県で手がいっぱい。国から沿岸の市町村にリエゾン(連絡係)を送った。結果として現地の情報がとれるようになった。その時に使った衛星通信車で東日本大震災前に面識があった戸羽太陸前高田市長と話したら市長は『遺体は次々と出てくる。棺おけを用意して欲しい』と言った。各地のいろんな要望に応える必要があると思い、東北地整局長名で『ヤミ屋のおやじと思って何でも相談を』という通知を出した。いろんなSOSが寄せられ応えていった」

「元に戻す復旧は進み、あり得るべき東北をつくる期間に入る。住めるようにしただけで終わらず、東北がどう生きていくのかという観点から復興に取り組む必要がある。一方で首都直下型地震や南海トラフ地震などが起きる可能性は否定できない。東日本大震災時の我々が得た貴重なノウハウは研修などを通じて全国で共有していく」

■「新しい陸前高田、次世代に」

――戸羽太・岩手県陸前高田市長

パネルを使って陸前高田市の状況を説明する戸羽太・陸前高田市長(岩手県陸前高田市の市役所)

パネルを使って陸前高田市の状況を説明する戸羽太・陸前高田市長(岩手県陸前高田市の市役所)

「我々は8年間の復興計画(=陸前高田市震災復興計画)を定めて事業を進めており、一定の進捗はみられる。しかし5年たってスーパーゼネコンにもご尽力いたただき作業しているなかで『まだ、この程度か』という思いは市民も私自身も持っている。法律だとか、手続きだとか、そういったものが簡素化されたり、非常時対応になっていれば、きっともっと復興は進んでいたと思う。やはり東京とここの距離、盛岡とここの距離というものはあり、当事者意識はなかなか分かってくれといっても難しい面がある」

「制度上、様々な足かせがある。国は南海トラフ地震について一生懸命、警笛を鳴らしている割には全然備えていないと思う。次になにか起こったときには、すぐに(復旧・復興に)取りかかれるように法律改正をする必要がある」

「極論を言えば時限で権限移譲する仕組みが必要だと思う。ひとつひとつの法律をいじくるのは大変だと思うので、理想論だが国が持っている許認可権限を時限的に県に移す、県が本来やるべき仕事を市町村に移す。例えば開発行為(の県への手続き)は、私からすれば、(緊急時に)そんなのはいらないと言ってきた。本来はレジャー施設や大型ショッピングセンターを都会からきた人が山を削ってつくりますという時に乱開発にならないようにチェックする仕組みだ」

「(陸前高田市の復興計画の8年間で)はじめの4年は被災してボロボロで未来の夢を語るような状態でなく皆歯を食いしばって下を向いていたようなところがあった。しかし選挙などを通じて後の4年はもっと前向きに新しいものを皆と一緒に創造できるようにしましょうと申し上げてきた。商店街の方々も資金繰りは大変だが新しい店を建設する方向で、新しい街に一定の期待を持ってもらっている。若い人たちが働く場所の確保も含めて、新しい陸前高田を残りの数年でもっと目に見える形にして次の世代に夢をつないでいきたい」

■「東北観光、民泊で貢献」

――上山康博・百戦錬磨社長

上山康博・百戦錬磨社長

上山康博・百戦錬磨社長

「仙台で起業した背景としては球団が仙台にある楽天グループの楽天トラベルで働いていたことが大きい。東日本旅客鉄道(JR東日本)さんと仕事をして、仙台とか東北全体とのつながりがベースにあった。あと楽天トラベル時代の後半に地域振興部門を立ち上げ、その中で東北との接点もあった。そして東日本大震災が起きた」

「その後、影響が落ち着いた時に東北を盛り上げるため観光庁が旗をふった(周遊観光を促すキャンペーンの)『東北観光博』に関わった。その後に自分でやりたかったICT(情報通信技術)を観光業に導入する事業をするために会社を立ち上げようとした。仙台市の行政の人とか東北観光博を一緒にやった人などが『仙台でやりなよ』と言ってくれた。もう一つの理由は優秀なエンジニアを東京でベンチャーが採用するのは難しいが、教育機関が多い仙台でなら見込みがあると判断した」

「今、世間で急速に普及している民泊は違法なものが多いが、私どもが仲介する民泊は法律的に認められている方式のみだ。グループ会社『とまれる』が仲介する農村・漁村体験型の民泊『とまりーな』は最初、東北でスタートした。日本の原風景が残っている東北の農村や漁村は潜在力がある。貸し手を募るため各地を回った。保守的な地域なので開拓に苦労したが、逆に言えば東北でできれば全国展開も可能と考えた。今では東北で約300件の農村・漁村の施設を扱っており、他の地域でも仲介する施設数が増えている。欧米人を中心に訪日客にも人気で、訪日客が少ない東北の観光業の処方箋になり得る」

「一方で都市型の民泊にも力を入れていく。『とまれる』は国家戦略特区の特例で東京都大田区が始めた民泊の認定第1号になった。関西出身の私からみると東北には他の地域に比べ新しいサービスをつくっていくというマインドが乏しい。それだと人材は流出するばかりだ。この点も含めて私なりに貢献していきたい」

■「東北に新たな産業集積を」

――岡崎哲二・東大教授

岡崎哲二・東大教授

岡崎哲二・東大教授

「東北地方は大震災前から経済的に下降トレンドだった。大震災でショックを受けた影響は復旧の過程で取り戻し、再び下降トレンドの延長線まで盛り返したとみている。ただ人口の減少傾向を止めるのは難しい。そのなかで都市と地方、それを含めて日本経済全体をどうするのかを考えながら東北の復興を考えないといけない。東北の復興という観点だけではだめだ」

「この産業というものがあればいいと思うが、なかなか厳しい。国は高度成長期から地方の産業振興をやってきたが、その考え方は中央(東京など大都市圏)は過密で地方に産業を持っていけばいい、というものだった。ただ中央から持っていく余裕があまりなくなって高度成長期以来の発想ではうまくいかない。国の政策支援を活用しながら、その地方に潜在的にあるような生産要素を利用して新しい産業集積をつくっていく必要がある」

「感情としては冷たいようにみえるかもしれないが、もともと衰退トレンドにあったところに戻っても、あまりいいことはない。新しい方向を目指さないといけない。公的な資金でむりやり戻しても、日本経済全体にとって非効率な地域を増やすだけだ。日本の財政は厳しい状況であり、そういう方向に進まない方がいい」

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