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あの時、金融マンが見せた2つの顔
再生への闘い(2)

2016/3/7 2:00
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宮城県気仙沼市に本店を置く気仙沼信用金庫。3月11日の東日本大震災による津波の被害を受けて12店舗中7店舗が全壊し、無事だった店舗は2つのみという壊滅状態に陥った。

気仙沼信金の菅原務理事長(宮城県気仙沼市の気仙沼信用金庫本店)

気仙沼信金の菅原務理事長(宮城県気仙沼市の気仙沼信用金庫本店)

地震の直後に災害対策本部を立ち上げて指揮を執った菅原務理事長は「お客さんがまず手にしたいのはお金。内陸に避難するにしてもお金が要る。まず預金の払い出しをしなくてはいけないと考えた」と当時を振り返る。

■気仙沼信金、地元密着が生んだ機転

しかし被災者はキャッシュカードはおろか通帳や印鑑も持っていない。考えついたのが「信金の職員の名前を1人言ってもらえれば、10万円までお金を引き出せる」という、地域密着が持ち味の信金ならではの手法だった。

実施を決めたのは震災翌日の12日。休み明けの14日には、無事だったJR気仙沼駅前の支店で払い出しを始めた。

「支店の前には長蛇の列ができていました。極限の状況なのに、皆さん文句も言わずにじっと並んでいるんです」。菅原理事長は当時の様子を感慨深げに振り返る。

気仙沼市内で大型スーパーを2店舗運営する「駅前ストアー」の三浦剛社長には、思い出すだけで今も怒りがこみ上げてくる出来事があった。

三浦社長は津波で父親を亡くし、母親と妻は今も行方不明だ。スーパーも流されてしまった。そんなどん底の状況の中で、震災があった3月末に地元の地方銀行の担当者から突然電話がかかってきた。「50万円の引き落としがありますので、口座に入金してください」。

■被災者への配慮欠いた銀行も

三浦社長は「行方不明の家族を探しているのにそれどころじゃない」と応じたが、その後も何度も連絡してきたという。お金はきちんと払ったが「配慮の無さ、人間味の乏しさにあきれた」と当時を振り返る。津波で流されたスーパーは、気仙沼信金や商工組合中央金庫、日本政策金融公庫の協調融資を受けて再建を果たした。

気仙沼信金の菅原理事長には、肌身離さず持ち歩いている物がある。名刺入れの中に挟んでいる小さな1枚紙。知っている信金職員の名前を伝えてお金を引き出した人が何人いて、総額いくらが引き出されたのか。1750人、2億1千万円とそこには書いてある。自分の口座残高以上にお金を引き出した人は1人もいなかったという。

いつも持ち歩いている理由を「思い出みたいなものですから」と語る菅原理事長の顔には、地域金融の担い手としてのプライドが感じられた。

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