全村避難の飯舘村 復興を願い「までいの心 音楽祭」
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年になる今も、福島県飯舘村の全村民は自宅を離れて避難生活を送っている。一日も早い帰村と復興の実現への願いを込めて「までいの心 音楽祭」が6日、避難先の福島市で開かれた。
同音楽祭のステージに立ったのはシンガーソングライターのYae(ヤエ)さん、福島県立福島高等学校合唱団、そして飯舘村の小学生たち。Yaeさんの母はシンガーソングライターの加藤登紀子さん。飯舘村で加藤さんが野外コンサートを行った縁で、Yaeさんもデビュー以来、コンサートやイベントに出演してきた。2010年には飯舘村親善大使「までい大使」に任命された。
「までい」とは飯舘の言葉で、「丁寧に、心をこめて、大切に」などの意味。震災の年の11年夏に千葉県鴨川市で主宰する農園「鴨川自然王国」に村民を招くなど、避難生活を余儀なくされる村民を励ます活動に取り組んでいる。今回の音楽祭のために作詞・作曲した「ともに歩こう」には、「困難を乗り越えて未来をともに歩いていこう」というメッセージを込めたという。

音楽祭を主催したミュージック・フロム・ジャパン(MFJ)の三浦尚之理事長は、「音楽による心の復興、音楽の力で役に立ちたい」と音楽祭への意気込みを語った。MFJは日本の現代音楽を世界に発信する目的で三浦さんが立ち上げ、今年で創設41年を迎える伝統の音楽祭。ニューヨークなどでの公演に加え、今年は特別に飯舘村への支援をテーマにした公演を福島市で開くことにした。母親の実家があった飯舘村を幼少期に何度も訪れたという三浦氏は、「美しい風景を当たり前のように、そして毎年のように見に行きたい」と話した。
現在、飯舘村全域は避難指示区域に指定され、放射線量に応じて帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分けられている。居住制限区域および避難指示解除準備区域について日中の立ち入りは可能だが、村内全域において宿泊することはできない。帰還困難区域については、原則立ち入ることもできない。村民の約9割が近隣の地域に避難、約半数は福島市内で生活しながら村に帰る日を待っている。
音楽祭の第1部で講演した菅野典雄村長は、「愚痴を言っていても前に進む事はできない。音楽祭を新たな町づくりのきっかけとし、バネにしてがんばりたい」と話した。
(映像報道部 斎藤一美)
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