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賜杯に手届かぬ稀勢の里 足りぬもの、自ら見つけろ

2006年初場所の大関栃東(現玉ノ井親方)を最後に、日本出身力士は大相撲の賜杯から10年遠ざかっている。日本出身力士の長期低迷に終止符を打つ一番手として、私は大関稀勢の里を挙げたい。

賜杯の行方を左右する終盤の勝負どころで敗れ、優勝にはあと一歩届かない歯がゆい状況が続いている。裏を返せば、それだけコンスタントに優勝争いに絡む好成績を残している証しとはいえないか。

現役の日本出身力士のなかで賜杯にもっとも近いのは稀勢の里(右)。もっと自信を持っていい

言い方は厳しくなるが、ほかの力士は「期待させる」までにも至っていないのが現実。現役の日本出身力士のなかで賜杯にもっとも近いのは稀勢の里であることは間違いない。だから、もっと自信を持っていいと思う。

ライバルに負け、初心に帰ること決意

稀勢の里は7月に30歳を迎えるが、まだまだやれる。私は00年夏場所で27歳にして初優勝し、最後(5度目)の賜杯をつかんだのは32歳だった。それを思うと、稀勢の里もそろそろ優勝してもいいころだという気がしてならない。

私が初優勝できたのは、その半年前から稽古内容や生活全般を見直した結果だった。転機は00年初場所千秋楽の武双山戦。向こうは勝てば初優勝、こちらは勝てば勝ち越し、負ければ負け越しの瀬戸際だった。この一番に私は敗れ、周りの人を「なぜ相手の方が重圧のかかる場面なのに負けるんだ」と失望させてしまった。

同じ1972年生まれのライバルとの明暗がはっきり分かれ、自分自身も「このままではダメだ」と初心に帰ることを決意した。毎晩のように繁華街に繰り出していた生活と決別し、体の不安な箇所をケアするためにこまめに治療院に通った。

稽古では基礎体力をもう一度つけ直そうと、四股やテッポウ、すり足といった相撲の基礎運動を中心に据えた。強くなればなるほど基礎がおろそかになってしまうもので、当時の私も基礎運動の量が減り、実戦形式の「申し合い」中心の稽古になってしまっていた。

申し合いは相撲勘を磨くために欠かせない稽古ではある。ただ、実戦だけの稽古では全身をバランスよく鍛えることができない。私の得意の形は左四つ右上手だったので、申し合いでは右ばかり使い、左はあまり使わない。その結果、右だけが極端に強くなり、左は弱いままだった。

その点、テッポウなら左右の肩まわりの筋肉を均等に強化できる。そもそも、体というのはバランスよく鍛えないといけない。右だけをパワーアップしても、右上手を取れたときにしか勝てない。また、左で相手に圧力をかけることができれば、右上手が取りやすくなる。バランスよく鍛えることで、自分の得意の形に持ち込みやすくなるのだ。

基礎運動と筋トレのおかげ、土俵で力

「膝を曲げる」「腰を下ろす」というのも、力士なら誰でもそうすべきだと頭では分かっている。だが、四股やすり足で普段から筋力を鍛えておかないと、いざ実戦で思い通りに膝が曲がったり、腰が下りたりはしない。体がイメージ通りに動かないというのは、その動きに必要な筋力が足りていないということだ。四股やすり足はそういう筋肉を強くしてくれる。実際、私が基礎からやり直した後は、実戦において以前よりも頭で思い描いた通りに体が動くようになった。

基礎中心の稽古に切り替えると同時に、それまでやったことのなかったウエートトレーニングも導入した。私の場合は右のかいな力が突出していたので、左右に同じ負荷をかけて強化し、バランスを整えることを意識した。さらに全身をくまなく強くするために自転車をこいだり、プールに入って走ったりして、限界まで体を追い込んだ。

母校の中学校で記念撮影する稀勢の里。優勝への周囲の期待は高まるばかり=共同

その成果がすぐに出て、初優勝や大関昇進を次々につかみとった。それまでも人並み以上に稽古していたつもりだが、左四つの偏った相撲で特定の部分しか鍛えられていなかったので、培った力をうまく生かすことができなかったのかもしれない。基礎運動とウエート中心の鍛錬で体のバランスを整えたからこそ、土俵で持てる力を発揮できるようになったのだと思う。

ただし、ウエートトレーニングはもろ刃の剣だ。私はウエートのやり過ぎで筋肉が必要以上に硬くなり、以来、ケガをしやすい体になってしまった。やはり、相撲に適した体は四股などの基礎運動でつくっていくべきだ。ウエートは筋力のバランスが崩れていると感じたときに微調整でやる程度にとどめた方がいい。

私は稀勢の里に筋トレを推奨しているわけではない。何かほかに目新しいことをしろ、と言っているのでもない。むしろ、ウエートは故障のリスクが高く、あまり勧められない。「力士はちょっとしたきっかけで変わることができる」ということが言いたいのだ。

周囲の期待、重荷でなく意気に感じて

稀勢の里は、00年初場所千秋楽の私のような崖っぷちの状況にはなく、毎場所ある程度の成績は残している。だから、当時の私のようにすべてを根本から見直す必要はないかもしれない。ただ、何かが足りないから、あと一歩で賜杯に手が届かないのは確かだ。その足りないものは何なのかを自分で見つけ、それを克服するための行動を起こしてほしい。

浅香山親方

私からの助言は「基礎運動をおろそかにしてはいけない」ということだけだ。これはほかの関取衆にも強調しておきたい。親方になって痛感したのは、出稽古先でも目に留まる若い子は例外なく基本がしっかりできているということ。指導者となり、基本の大切さを再認識しているところだ。だから、役力士になっても「番付を上がってきたころの自分は、こんな四股の踏み方をしていたのか?」と自問自答しながら稽古に励んでもらいたい。

日本出身力士の健闘を願うファンから破格の声援を浴び、稀勢の里はプレッシャーを感じていると思う。ただ、冒頭にも書いた通り、ファンに期待させる状況をつくっているのは稀勢の里自身。それだけの結果を残し続けてきたいうことだ。だから、周囲の期待を重荷ではなく意気に感じ、持てる力を土俵で出し切ってほしい。

誰でも大一番では硬くなるし、緊張する。それは私も同じだった。ただ、不思議だったのは、優勝するときはそれでも勝てるものなのだ。稀勢の里にも、いずれそういうときが来ることを願っている。

(元大関魁皇)

 浅香山博之(あさかやま・ひろゆき) 元大関魁皇。1972年7月24日、福岡県直方市生まれ。若貴兄弟や曙と同じ88年春場所に初土俵。93年夏場所新入幕、2000年名古屋場所後に大関昇進。幕内優勝5回。現役時代は十八番の豪快な右上手投げでファンを魅了した。通算1047勝、幕内在位107場所はともに歴代1位。11年名古屋場所で引退。年寄・浅香山を襲名し、友綱部屋の部屋付き親方に。14年2月に独立し、浅香山部屋を創設。

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